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2019-01-13

信が揺らぐとき

 

時代の息吹が素早くて、めまぐるしくて、
昨日はこうだったのが、今日はそこにさらに違うシェードが加わり、

日々新しいものが有無を言わさず入ってくるとき。

 

人は何らかの形で、「信」というのか、信念、考えをもっているものですが、
こういう時代だと、ひとつのずっと生涯続くようなものだけを
持ち続けて歩むということも、難しくなってきています。

 

ほんとうに大切なこと、核は変わらずとしても、
それでも、その核の回りも変化してゆきますし、
自分の状況、周辺環境、世界の様相など、
さまざま織り込まれてくる糸も雑多で増えています。

 

ある時期、「信」を失ったように思うときも体験して
変容は進みます。

つかんでいる概要、エゴが拠り所とするところが
さまざま揺さぶられ続けているわけですから、
その体験が起きるという方が自然です。

それを通して、必要な脱皮なり、不要なものの手放し、信じるものの拡大が
起こってくるからです。

 

その渦中はあまり心地よくないですし、
それが自分にとっての必要なこととして起こっているということに関しても、
揺らぎが起こります。

 

けれど・・・その激震がある程度落ち着いた後で見てみると、
それは、高く飛ぶためには、いったん腰を低くかがめて
力を貯める、

あるいは、四季の循環の中での冬のようなものです。

 

マインドが望む方向ややり方ではないとしても、
全体としてあなたにとって必要なことだけが起きていて、
無駄はありません。

 

あなたの信を揺さぶり、信とは違う極へと連れてゆきそうな体験であっても、
その極の反対には別の質の極があり、
全体で、あなたはやはり、目指すところを目指しているのです。

相反するようでいて、それは全体の一部で補完です。

 

より、あなたの目指すものを深く理解するとき、
それとはまったく違うものを体験したりしながら、
理解がハラに入ってくるのです。

 

そういう意味では、私たちが目指すものは
すでに決まっていて、

どんな道に思えようとも、それが道から反れたように思えても、
実際は、あなたの道を歩いている。

外れようがない。

 

そんなことがなんとなく腑に落ちてきたら、
冬を越した根は、見えないところで太くたくましくなり、
その後の循環での土台として強固さを贈ってくれる、

そんなことが人生にも反映しているのだと、
ゆっくりほぐれてゆくものがあるかもしれません。

 

「信」も、失えるものはなく、
どんなときも深い「信」の中で生きているのだと、
自分のどんな表現も肯定できたとき、

あなたの中には、やさしさと強さが同時に、より育っていると言えます。

 

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