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サチャロカ・クォーツ&ニルバーナ・クォーツ

 

アポフィライト

クリスタル・ヒーリング・メッセージ

 

これはインド産、ヒマラヤ産のクォーツなのですが、

尊敬&LoveのNaishaさんのところで興味を持って、
求めてみました。

やはりそれぞれの個性を、ネットなどで頭で理解するのと、
実際の感じ、伝わってくる微妙なその個性で、
ハートと振動を通してつかむのは、また違います。

私は石を求めたときに、特に検索で情報を得たりは
あまりしません。

何かのサイトで、まず説明ありきで興味を持って、
どれどれ。。。ということもありますけれど、

いつもそういうことはなしにして、

自分が実際感じるもののために、スペースを確保するように
努めています。

他の人のフィルターを通したもの、
また自分のオリジナルなそれ。

それらがどちらもあっていいわけですが、
自分のオリジナルなものは、情報という枠で規制されずに
なるべく受け取りたいなと思っているからです。

ですので、できるだけ、興味がとても湧いたものは、
それが入手可能でOKという範囲において(笑)、
実際、うちに来てもらいます☆^^

実は届くまで結構時間がかかり、
税関でとめられていたのでした。

けれどベストなタイミングで届いてくれました♪

☆☆☆

私の意識的なコンタクトの一歩は

水での浄化が可能な石の場合、

来てくれた時にすぐ、流水の元でしばらくさらしながら、

意図と感謝を持って、「来てくれてありがとう♪」と言いながら、
すべての不要なエネルギーが、流水とともに流れ落ちてゆくイメージを
持ちながら浄化をするときです。

届くまでにいろんなところを経由していますしね☆
それにさっぱりしてから、改めてご対面もいい感じではないでしょうか。^^

そして実はその時に、その子の個性って強烈に伝わってくるのです。

水がそのエネルギーを強めて伝えてくれるのか、
また、比較できるものとして複数についてやってみると、
伝わり方がよりくっきりクリアになって、いいかもしれません♪

流水の後は、通常はそのまま乾かして、
窓辺などにしばらく置いておきます。

そしてチュ♪としてから^^その後、瞑想部屋に置いて
しばらくしてから改めて、「来てくれてありがとう☆」と
じっくりエネルギーの交流を、意識を持ってできる機会を持ちます。

そのときのリズムや仕事の関係もあったりで、
すぐにそれができずに、しばらくテーブルの上にそのまま乗っていることも
あったりします。

そしてこのクォーツたちですが、

聖地といわれているところの産ということで、
興味がありました。

今までも、ヒマラヤ産のクォーツを求めた時に、
ブラジル産などとエネルギーがかなり違うので、フーーンなんて思うこと
あったのですが、

さてどうかな。。。と思いながら、

すでに流水の時に、印象は強烈に伝わっていますので、
ある意味、すでに受け取られてはいることを、

言葉へ乗せて表現できるように、噛み砕いてゆく作業も伴う、
そんな感じで、第二歩目のコンタクトです。

そして最初に持ったのが、第1歩のコンタクトで、

そのやわらかなエネルギーに驚いてしまった

ニルヴァーナクォーツというものです。

私が求めたのは比較的小さな石なのですが、

そこに宿る女神のような、成熟さとソフトさと奥深いやさしさ、懐ろ深さを
湛えた石☆

私はイメージとして、クァンインのような、

けれどそこにより柔らかさ、どっしりしたというのでもないけれど、
より丸くなったような、そんなとても心地よいエネルギーを感じ、

言葉でどう表現しようかな。。。と考えていて、

今回は色を使って書いてみます。

たとえば私のクァンインのエネルギーへのイメージは、

リラが少し入ったペールピンクのイメージで、
同じく包容力と優しさを感じるものですが、

色の色相として、ブルーが多少入っている感じが
個人的なイメージなのです。

繊細なエネルギーと、浄化のエネルギーが入っているという感じかなと
思うのですが。

そして今回のニルヴァーナに宿る女神のエネルギーは、どう言えるかな?と思い、

たとえばピンクのイメージではあるのですが、

ブルーの色相、その影響の代わりに、
オレンジ、イエローの感じでしょうか。

よりどっしりとしたというのでもないけれど、
丸くなったような印象は、こんなところからなのかなと思いつつ、

さらに感じることを、言葉に直す作業をしてゆきます。

そしてある意味、今回の別のクォーツ、サチャロカクォーツとの比較において
なのですが、

私たちのスピリチュアルな旅をたとえて、

オーラソーマでも、行く道と還る道(リターンジャーニー)なんて言いますが、

往相と還相として言うこともできますね。

それは昇る旅と、下るのではないけれど、
総合するための、還元してゆく道。

たとえば求道者がいたとして、

自らが悟ろうと深みを目指して一人修行に励む、
俗世を捨てて聖なる世界で孤高に求める、

こんなイメージが、往相にはちょっとあったりするのですが、

還相には、そうですね。。。

ある程度の深み、高みに達して、
見晴らしもよくなった時点で、

同胞人類へのサポートに自然により目覚めて、
高い山にそれまでいたのだとしたら、その山を自分の選択で降りて、

意識的に、世俗の通常の世界につかりながら、そこで生き切ることを通して、
更なる、懐ろ深い高みを、気負わずに求めてゆくゆとり。

そんな風な、きわめて個人的なイメージですが、
あります。

そしてこのニルヴァーナクォーツには、
その還相のエネルギーを感じて、

もうひとつのサチャロカクォーツには、
その名前の由来として、インドの聖地?なんでしょうか、
そこでお坊さんが修行としてクォーツを掘るとかなんとか^^
読んだ気がするのですが、どうなんでしょう~。。。

詳しいことは不明ですが、私の中では一致する感じがしたのでした。

なんというか、ちょっととがったエネルギーなんですね。

孤高というか、親しみ易いイメージのエネルギーではなくて、
どちらかというと、沿うというより、
剥ぎ取る、余計なものを脱いで、真と芯だけで対するように求めてくるような、
そんなある種、高いのだけれど間口の狭い感じも受けるのです。

狭き門といったところでしょうか。

もちろんその奥に、それに同意してコミットしながら、
霊的な道を進む人のみに開示される、聖なる別の世界が
豊かにあるのだとは思いますが、

ちょっととっつきにくい感じもあったりして(笑)、

そのペアのエネルギーがちょうど補完的な感じもあって、
同時に届いたのもありますし、
とても興味深いなぁ。。。と思っていたのでした。

あるいは、より男性的資質を宿しているものと、
より女性的資質を伝えてくるものとして。

そして思っていたのが、人間としての在り様も、

そのサチャロカ的なもの(段階)もあれば、
ニルヴァーナ的なもの(段階)もあれば、

けれど究極私たちは、それらどちらをも、人生において
求め体現してゆくんだなぁ。。。と思いました。

またそれは、一生のうちでなされる人もいれば、
(その前の生なりで、その段階、そこに達しているということ)

何生もかけて、必要なステップで、その往相と還相を
その時々の比重で体験してゆく人もいるでしょうね。

いずれにしても、往相と還相は一対であり、またその一対が繰り返されて
ほんとうに私たち本来の光を、発見してゆく旅なのだと思います。

人間として見える姿に、あまり違いはなくても、

なんというか、基本的なところで、人生に対する姿勢が、
それぞれ違ったりすることもあったりで、

普通、それをジャッジするのは簡単だけれど、
ほんとうに私たち自身でさえも、魂の指揮する雄大な全体図が
見えなかったりすることもありますし・・・

やはりいろんなこと、いろんな個性、いろんな在り方、

それですべて善しなのかなと、

どちらも素敵な在り方の、このインドやヒマラヤからはるばる来てくれた
クォーツたちを手に持ちながら、

感じていたのでした。

感謝!