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全体的な生き方

全体性

 

最近、親交があったり、用事などを通しての方と
やり取りがある中で、感じたことです。

具体的には、約束の延期のお願いが来たり、
忙しさのあまり、約束を忘れられたり、
相手の体調が思わしくなくてキャンセルになったり、

そんなことが2、3度ありました。

もちろん、あまり心地良くはない体験だったのですが、
人が人として生きられるということを考えていました。

「そういうこと、あってもいいよね。(人間だもの)」と、

肯定、受け入れの気持ちが、内なるところで最近とみに
育ってきているのとも、呼応しています。

 

ドイツ暮らしで、仕事とプライベートの配分ということを
見てきている中で、

それがファミリーに関することであったり、
子供さんの予定とのことであったり、
自分自身の健康の基礎的状態であったりなど、

それらをちゃんとケアしながら、仕事をするという姿勢が、
日本に比べてよりある点は好ましいなと思います。

特に仕事をするママであったり、
家庭と仕事の両立をしている女性であれば、

両立に悩むシーンは日々、いっぱいあると思います。

そのキャンセルになったり、延期になったり、
うっかり忘れられてしまった中で、改めて思ったのは、

 

『全体性』で生きるということ

 

そしてそういう風に、本来として生きていいのだ
ということです。

ですが、時に状況によっては
極限までがんばることを余儀なくされたり、
そこに個人の事情、コンディション、気持ちなどが
織り込まれる余裕もないということが、
日本でもあるかと思うのですが、

こちらドイツでの人々の仕事振りを見ていて、
その辺に、まだゆるさが存在しているなって思うのです。

 

バランス感覚というのか、

実際的嗅覚からの、人としての仕方がない部分を想定して
考えているというのか、
いろいろな根拠があるとは思いますが、

人間がバランスよく生きるということに
サポートと理解がよりあるように思います。

 

上の、約束が変更になった方たちは、
主に働くママたちです。

彫金のマイスタリン、
お子さんの関係、家庭の事情の関係、
仕事以外に込み入ったこともありますし、

マッサージの方も、やはりクリスマスなどの行事、
学校の休みなどは、そちらが一番の優先順位となります。

あるいは気持ちがあっても、体調が悪いときは
それを尊重して無理しないというのは、もちろんのことです。

 

そしてそれがお互いに許されていることで、
機能面だけから見たら、不快と思うことになるかもしれませんが、
ある意味、無理しなくても、人間として活動してゆくことができる、
そうも言えます。

迷惑をかけたり、かけられたり、
人として生きる中で、お互い様ということですね。

私自身も、今愛犬がまだベイビーなため、
集中すること、長い時間になることは、
会社員の夫にお願いして、週1くらいで自宅仕事デーを
設けてもらい、

夫の仕事側面から見ると、効率が悪く迷惑かもしれませんが、
彼も充分理解して、なんとか工夫してくれて成り立っています。

仕事をする人であっても、同時に家庭人であり、
多方面での責任もそれぞれあり、
また機械ではなく、人間であるということ。

 

当たり前のようですが、
それらが無視されないことは、いろいろなコンディションの存在が
一緒に暮らす社会、場において、必要な認識だと思います。

その当たり前の認識が、あたたかさで受け入れられている社会こそ、
豊かな社会でしょうし、成熟した社会だと感じます。

古い男性的な、一側面の切り取った生き方ではなく、
総合的で多面的な生き方、女性的側面の発揮の生き方が
これから社会で、より受け入れられてゆくのだと感じています。

女性、家庭、社会は密接に関わりあっている、
大切な土台を成すところですから。