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関係性での痛みを持ちながらも 生きる

女性

 

私はフランスが好きなこともあって、

家族で行くホリデーもフランスが多かったり
(車で行けるので愛犬も連れて行きやすいのもあり。)

フランス語をゆるリズムで学んだり
(といっても、マスターにはほど遠く、いつも途中で休止になってしまいます。)

余暇にフランスの映画を観たりと楽しんでいます。

 

今日はそんな、フランス映画が好きな私のお気に入りのひとつから☆

 

『Mademoiselle Chambon』

邦題は『シャンボンの背中』です。

 

人との関係と、そして自分軸で人生を構築すること。
それについてじっくり考えさせられました。

 

Mademoiselle Chambon

 

あらすじとしては、

一事でいえば、ほろ苦い恋となるのでしょうが、
惹かれあった二人の男性の方は、妻子がある人という設定です。

俳優さんはじわっと光る実力派の方が出ていると思います。

 

心の琴線に触れる触れ合いで知らず惹かれ合い、求め合う二人ですが、

男性も心から家庭を大切にして家族を愛する善き人。
パパとしてもすばらしい家庭人であり、自分の年老いた父親を定期的に細やかに
ケアする、人としての本当の優しさを持った人です。

また、そのパートナーである奥さんも明るくて良い奥さんでありお母さん。

特別なことはなくても、調和した素敵な家庭を築いてきたのです。

 

そしてもうひとりの登場人物は、パリの方からそのプロヴァンス地方へと
赴任してきた息子の学校の先生。
子供の担任として関わることが発端で、彼女のアパートの窓を修理してあげる、
そんなことから接点があり、深まってゆきました。

 

二人を結びつけたもの、

それはある意味、プラトニックな心の深いところの大切に守っているもの、
エッセンスでの響きあい。

音楽の美しい調べと共調して、特に男性の心の中の
自身でさえ気づいていなかった泉のようなものに触れたとき、

それまで「息子の学校の先生」と見ていた女性が
きっと違った姿で見えてきたのだろうと思います。

 

それはある意味、魂を通した響き合い。

求め合うというより、ただ響いてしまった・・・という風な。

 

二人とも良識のある同士として、心の思いに気づきながらも
悶々としながらも、今ある幸せの形を守ろうとします。

女性もそんな男性を見て、一人でひっそりと去ることを決めます。

 

そして、明日、パリへとまた戻るというそのときに、
二人は溶け合うことへと自然と入ってゆきました。

そして一緒にパリへと行くという気持ちを固めるのですが、

結局・・・男性はパリ行きの列車の発車のベルが鳴る音を聞き
急ぎながらも、足がだんだん進まなくなります。

 

今ある家庭、そして義務、まとまり、
そこから離れることで起こってしまうさまざまな悲劇。

その重みを振り払うことが、きっと良識的な家庭人の男性は
最後にきてできなかったのでしょう。

 

発車のベルが鳴り終わるまで、ホームを見渡し待つ彼女。

彼女は一人で列車に乗り発ってゆきます。
きっと深い深い悲しみを抱えながら・・・

 

また同時に、家にいた彼の妻もまた
ボストンバックを抱えて戻ってきた夫のただならぬ様子を察し、
その女性との間に起こっていたことを知ります。

 

けれど、帰ってきたということが彼の言葉であると受け取り、
いつものように二人でダイニングテーブルに座り、
いつものカフェオレをただ飲みます。

いつもの風景には変わりがないようでいながら、心の中の波打つもの、
それを内に抱えながら、彼女はたぶん「許し」たのでしょう。

心の中では、一時とはいえ、自分たちから離れて行こうとした夫を。

 

***

 

長々とあらすじを書いてしまいましたが、

この映画を見ていて、とても切ないなと思いました。

登場する誰もが良い人なのです。

そしてその場で懸命に働いている善人です。

求めようと思わなくても出会ってしまって・・・
心が響いてしまった、その切なさをどう扱ってよいかもわからない中、
心は揺れ動き続ける。

けれど最終的には、今まで守っていたものをそのまま継続するという形になり、
心の奥底に、そのハートに響いた大切なエッセンスを封じてしまう。

 

こんな風な人生体験があったら・・・

さて、どうでしょう?

 

その登場人物、身近にいそうな人たちで、またみんなが切ないです。

 

けれど、その結末に至って、一番辛いのはやはりその男性という気がします。

 

男性が現れなくて一人で発たざるを得なかった彼女は、
悲しみで打ちのめされても、それがある意味底であるために、
十分感じた後は、そこから出て上ってゆけます。

きっと時間が経った後では、新しい出会いがあったり、新しい男性に
心を開いてゆけるでしょう。 彼女が選べば未来があります。

 

けれど男性は、自分が選べたかもしれない人生案Bの方に
その後もきっと折々に思いを馳せたりしながら、ひっそりと砂を噛むような
そんな思いをするのかもしれません。

可能だったかもしれない人生という幻想に囚われて
生きてしまうかもしれません。

彼にとってその女性は、心が響いた相手であったために、
自分の一番美しい部分と自らつながりを絶ってしまった、その苦しさが
じんわりと終わることなく、人生において上ってくるかもしれませんし、

ある意味で平均的に良い関係の奥さんとの間でも、
罪悪感がいつもどこかにあり、自分だけでしまっておくという檻として
彼の精神を苦しめるかもしれません。

 

また彼の妻もまた、夫が他の女性に惹かれて
そしてそれは純粋な思いであったことを知っている。

それを知りながら、今まで通り家庭を維持して夫婦でいる。

その中で葛藤や迷いを感じて行くのかもしれません。

 

誰が悪いのでもなく・・・

ただ出会ってしまった。

 

そして究極、その「大人」の主人公たちが
その後の人生でして行く、自分に対してのワークは、

さまざまな葛藤や傷や罪悪感、痛みなどをどのように処理して行くのか
ということ。

それからどう生きるのかということ。

そこからも続いてゆく自分の人生をどう進めて行くのかを
一人一人の中で練って行くことしかないのですよね。

 

そしてそういうプロセスで思うのは、たぶん・・・
悲しみをダイレクトにすっかり感じた方が、次のステップへと行き易い。

ドンと落ちたら、後はどこか開き直りの気持ちも入ってきます。

陰が極まれば陽に転ず

 

などとも言われますしね。

 

かえって辛いのは、不本意ではあっても、もとのぬるま湯に戻って
そこで自分の心の痛みを自分だけが抱えながら
再構築をしてゆかなくてはならない立場。

痛みは誰にもシェアできないかもしれず、自分を責めたりしながら、
膿んで行くかもしれません。

 

けれど、その場合でも究極は、自分は何を掴むのか?ということ。

 

その3者共に、その後の人生を決めるのは、何が起こったか、
あるいは他者ではなくて、

自分が何を掴んで行くのか、また立ち上がって行くのか、
何を軸として自分の力をまた湧き立たせてゆけるのか、

 

分かれ道をどう捉えるか、

自分でどう扱い、どう進むのかという自分軸のことなのだと思います。

 

最後のシーンは、男性と奥さんがダイニングテーブルで
いつものようにカフェオレを静かに飲む日常のシーンで
シャンソンが流れます。

 

なんだかじんわり~と切ない気持ちになり、

シロでもクロでもなく、
深く関係性を考えさせられる映画です。

 

人との関係性と、自分の軸で生きること

その両方をうまく噛み合わせて生きる、人生のアートを
私たちはみな、それぞれの風景の中で学んでいるのだろうなと思います。