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ありのままのあなたにOKを出す

小さな喜びを愛でる

 

ありのままと存在給って?

 

この存在給という言葉自体は、どなたかのブログか何かで
見たのだったと思います。

内容はすべては覚えていないのですが、
この言葉が記憶に残っていました。

 

そして存在給というのは、

存在しているだけで、
神や他者や社会や回りから、自分の価値を認めてもらえ、
贈ってもらえるもの。 かな・・・と。

 

それを、自分がどれほどのものと規定しているのかが
人により、ずいぶん違うのでは。。。とも思ったのです。

また、そもそも、どういうところに、価値を見出すか

「価値」って実は何なの? ということも
人それぞれかもしれません。

 

存在しているだけという状態

これにはたとえば、

・赤ちゃんなど、手を篤くかけてもらわないと生きられない存在

・そういう意味では、ペットなどもそうかも

・怪我をしたり、事故や、老齢になり体が不自由になった場合など

・現実的なサバイバル面で、まったく心配する必要がなく、
また、特にやりたいこともないという場合など

・あるいは、生き神さまのような存在?!^^

いろいろあるかと思いますが、

 

私たちの通常の活動では、

いるだけでの価値、存在給を意識するというより、

たとえば、目に見えるものとしての、
労働の対価としていただくお給料、お金、
強みや創造性の発揮として、give & take で入ってくるもの

あるいは、他者や社会との関わりにおいて発する
目に見えない豊かさや流れのように、大きく受け取っているもの

それらの総合を、なんらか自分の価値として、
私たちは意識、認識しているように思います。

 

では、その、得るお金だとか、名声だとか人気だとか
承認だとか、つながりだとか・・・

価値と認める土台としてのものが、
何らかの事情でなくなったとして、

それでも 残るもの☆

 

自分自身としての価値 (存在給)は
どんな風になるのかな?

私はその存在給という言葉から、いろいろ考えていたんです。

 

***

 

そしてつらつら検証して思ったんですが、

今まで「これはプラス面だよね、長所!」と思っていた側面が
たとえばあったとして、

無意識レベルで、存在給が充分ではないという発想から、
それを補う上で発達させたものかもしれないな・・・という一面。

 

それが特に問題ということではないですが、

その発達させた過程の理由として

「そのままの私では意味がない」「価値がない」が
前提にあったとしたら・・・

 

そこから発生しているさまざまは、一度見直してみることも
いいのじゃないかなと思います。

 

たとえば私なら、

長女で、小学生の頃も学級委員とかをするタイプで、
お世話する役目がたくさん回ってきました。

そして、どこかの時点で

「役に立つ私は好かれる、愛される」という思い込み
「人には好かれ、愛されなくてはならない」 を
取り込んだかもしれません。

ですので、問いかけとしては

「役に立てなくなったら、わたしは好かれないの?
そのままの、ありのままのわたしでは愛されないの?」ということなんですね。

 

役に立とうと努力をして、それを受け取ってもらえることも、
そのやり取りや助け合いも、心地よいことだとは思うのですが、

もしそこに、かすかに、本来の自分の、いるだけでOKという価値を
認められない自分がいるとしたら?。。。

 

私の場合で言うと、

時に、責任感を感じすぎたり、他者の期待にこたえようとし過ぎたり、
役に立たなければならないと思ったりという、思い込みのひとつとして
補償的に現れている場合もあるなぁ・・・と思います。

 

また、ほかの補償や防衛反応として、
一般的にこんなものもあるかもしれません。

 

・「自分に価値はないから、私は人からお世話されないとだめ」
→自分の力を発揮するより、人に依存して、そこから力を得ようとする
自分の価値をとても低く見積もっている

・自分の価値なんてはなっから信じられないので、
社会から自分を切り離して行く
(引きこもったり、問題行動を起こしたり)

・完璧ないつも良い子でいないと!というプレッシャーが強くて、
自分軸人生を生きたり、自分という存在を味わう余裕がない
(潜在的に他者や社会にコントロールされている状態)

・人やグループをコントロールしたりして、自分に承認を集めて
それではじめて自分の価値を感じられる。

 

いじけたり、人に引っ付いたり(笑)
人をコントロールしたり、
良い子ちゃんでいることで自分を守ったり、
役に立って価値を認めてもらおうと思ったり、
完璧になろうとしたり、
あるいは、アウトローとしての生き方になったり。

私たちが幼い頃に身につけた、恐れベースの
いろいろな表現の仕方がありますね。。。

 

そして底にあるのは、

自分そのままとしての価値、その見積もりの低さだったり、
ありのままでOKと思えない心

 

そしてそういう部分に気づいたときですが、

さまざまなことって、気づいた時点で
すでにかなりのヒーリングが起こっていますので、

(それが見えるということ自体、ぴったりと一体化しているわけでは
ないからですしね。)

 

「そうなんだな~。。。」くらいの、自分に優しい眼差しを
まず向けてあげて、

内なる傷が反応しそうなときは、

「あなたはそのままで、存在しているだけでもすごいんだよ☆」と、

自分が自分を抱きしめて、安心感を贈ってあげること♪

 

自分の存在給を、いろいろなツールも使って、
本来のところまで戻してあげること☆

また、芯の自分に栄養を与える考え方、習慣をいつも大切に選択すること☆

 

私の場合は、愛犬を眺めていることで

ただ いてくれるという、尊い価値に改めて気づかせてもらったりします。

(変な話ですが、プッとオナラをしたときでも、
可愛いなぁ~なんて思うんです。苦笑)

そしてそこから、自分自身をも同じように眺める気づきをもらったり、

あるいは、私の個性のままで受けとめてくれている夫との
ちょっとした、何気ない時間や話を通して、

そのままの自分への栄養を、
受け取らせてもらっています。

 

存在給を上げること、ありのままの自分にまず自分からOKを出してあげることも、
気づきとともに、自分自身ができることですよね♪