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2019-02-08

占星術との関わりと、マインドフルネスなど

 

占星術を学び、それを使うということについて、あるいはそのバランスについて。

この世にあるものって、全部、対するものがあって、それがひとつになって全体ということになっていますね。

光と闇、
男と女
右と左・・・

ですので、ここに書くことも、そんな現実世界にある、普遍的なこと、両極があるということであると、切り取ってしまえば、そうなるお話です。^^

わたしが今学んでいる心理占星術。
これは私が本格的に学び始めたのが3年くらい前ですので、ある意味、時期的に大変ラッキーだったのではないかなと思うのです。
その時期にスタートしたので、心理占星術とすんなりと出会えたのかなと。

幼い頃から占星術に大変興味がありました。
人間を知る全般に興味があったのです。

けれど、占星術、興味があったにも関わらず、本を買って少しかじってみると、「あ、生まれ時刻がはっきりわからないから、だめだ」と、そこから奥へ入れない気がしていました。
私、出生時刻がきちんとわからなかったのです。おおよそということで。

そして、その当時、占星術関係の本を読むと、

「こういうアスペクトを持つ人は苦労します」
「こういうアスペクトだと、人間関係が・・・」と、
読み進めると、ガーンとなることが、たくさんあった気がします。
解釈が運命論的で、そこから逃れられないような、そんなニュアンス。

そこからもし、私が占星術の学びに入っていたなら、ガーン、ガーンで、とても学び続ける意欲がもてなかったかもしれない、そんな風に思うのです。

けれど、3年ほど前からじっくり学んでいる心理占星術では、
「成長のためのプロセス」として見てゆきますので、視線が過去だけにさまようことなく、未来を見てゆけます。

そして星の象徴や表示がどうであっても、それを動かして行くのは人間だというスタンスがあります。

そしてその考えに深く共鳴しながら楽しく学び続けているわけですが、学ぶことでよかったなと思うこと、それはたくさんありますが(やはり人間を理解するための、もうひとつの窓口を見つけたように感じ、多面的に見ることができる側面)、

正直、あることについては、最近までクリアになっていませんでした。

あることというのが、自分でも言葉ではっきりわかることでもなかったのですが、それは、「占星術を学び、分析的側面が強くなりすぎると、知性やこれでわかったと思えるもので、狭めたり色付けしたくないと思っている直感部分、それに影響がないだろうか?」ということでした。

私はエネルギーヒーリングもしますので、その際にはなるべく自分がニュートラルに在ることを意識します。
準備といえば、それに尽きると言えるくらい、とても大事なことだと思っています。

それを占星術の学びで、わざわざたくさんの分析的なツールを入れることで、直感が働き易い環境づくりに努めているところが、どこか侵食されてしまったりしないか?というものでした。

ですから、私のスタンスとしては、占星術は真摯に学んではいるけれど、まず最初に来るものではないということでした。

人を感じるなら、先入観のないニュートラルなところでその人を感じるのが一番先。
そしてさらに別の側面からということで、占星術からの洞察をツールとしてプラスαとして使わせていただく。
そのような感じです。

そのあたり、大まかに自分なりの使い方は決まっていたわけですが、

最近、「占星術はどうしても視線が過去に行ったり、未来へ飛んだりします。
過去のことで、あれはどうだった、こうだったと気持ちが暗くなったり、未来を思って不安になったりです。
そういう意味では、今ここに生きるというマインドフルネスというのとはまったく違うものではあります。」と、ある方に伺い、

私がなんとなく霧のように感じていたのは、その部分だったとクリアに認識できたのです。

私の中では、いわゆる非二元、マインドフルネス、全体で生きるということが、自然に染み込んで、その割合が増えて来ていると感じます。

その流れがひとつあるのに、学び側面から、ある意味、時間の流れの中で切り取って、分析から生きる上での指針を見つけてゆこうという、占星術にも確かに惹かれている。
その塩梅が、実はどこか微妙に、居心地がよくなかったのです。

けれど、占星術の学びが進んで来て、すごくわかりました!というのではなく、まだプロセスではありますが、どこか練れて来て、

そうすると、確かにアプローチとしては違うかもしれないけれど、補完することで、どちらも矛盾すると感じることなく、両方を包むように、バランスよく使ってゆけるかもしれない。

そんな風に感じるようになりました。

過去、未来。。。

そして、今ここ しかない。

その両方を、その時々でフュージョンの割合を変えながら体験して、瞬々それが変化している。
それこそが生きているということでもあるし、ひとつの極にはもう一方の極も実は入っている。

矛盾すると感じるものこそ、マインドで切り取っているが故なのか・・・と、どこか禅問答のような、不確かさが文章ではやはりついてまわってしまうのですが、私の中では落ちついて、居心地よく収まって来ています。

 

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