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キャンドル・クォーツ

 

アポフィライト

キャンドルクォーツ クリスタル・ヒーリング・メッセージ

 

最近、あるサイトから気になったさまざまな石を
注文したりして、

それはドイツからだけではなく、いろんな国からのものですので、
楽しみに待っていたのが、少しずつ届いたりしています。

そして届いたらすることは、
まず流水で浄化すること。

ま、旅をしてきてもらって
人間もシャワーを浴びてさっぱりすることと同じで、

旅の疲れなどを水で流してもらうわけですね。^^

そして手の平に乗せて、流水を受けているときにすでに
すぐその石の個性が伝わってきます。

それはほんとうにさまざまです。

私がここに書く場合、一応ちゃんと座ってから書かせていただくのですが、

実はそんな必要もないんですね。
すぐ感じますから。

ただ、私のマインドが、ちゃんと座ってから。。。というのに
したがっている、そういうことだと思います。(笑)

☆☆☆

今回書かせていただくのは、独特な外観が愛おしい
キャンドル・クォーツです。

きれいに整った外観ではないですが、
パイナップル・クォーツなどとも呼ばれる個性派です☆

一見すると無骨な感じのその表情が、じっくり見てみると
薄茶色っぽくなっていると感じたところが
砂状の鉱物なんでしょうか、

それによってゴールドのシマーが発光され
とても美しかったりを発見したりした後、

じっと手にもって、ただいつものように感じてゆきます。

白い繭で作られたような道、
そこを私たちはオリジナルな軌跡にて、進んでゆきます。

さまざまがあったとしても。。。
そこは守られて安全に進む、聖なる存在と一体の道です。

人は一緒に暮らしたり、一緒になにかをしたとしても、
その人の道である、そこはその人だけの空間で
他の誰の道とも同じではありません。

それぞれが同じ光に守られながら、独自の空間、世界にて
この肉体という現われによって、ご縁を結びながら。。。

進んでゆきます。

その光の道は、私たちの数だけ無数にあり。。。

そこは大元のところでは、同じ光によってつながっている。

まるで、このキャンドル・クォーツのようです。

そして流水で浄めているときに浮かんだのが、

キャンドル・クォーツという名にちなむ
あるイメージでした。

キャンドルは白い整った状態から、火がついて
その灯りがともってから、

自身ともいえる姿を、削るかのようにして
その身を減らしながら、明かり、光を周囲へ贈って輝きます。

そしてこのキャンドル・クォーツをもって思ったのは、

私たちがスピリットとして完全な姿でいるとして、
肉体にいる私たちは、その燃やされたろうそくのようです。

火が燃えるにしたがって、蝋がきれいな形の上を垂れ
独特のものを作りますが、

それはある意味、肉体にいるときの私たちかもしれません。

スピリットとして完全な状態を、内側で知っている私たちが
この肉体をもって歩む道は、

完全、完璧とはいえません。

時空の制限がありますし、肉体を持つということは
きれいなことばかりではありません。

けれど、そのキャンドルを見てみることで
心に入ってくるのは、

その現われとしては、完璧だった姿が崩れるように見える燃える姿が、
その実、この私たちの世界へ
必要な光とあたたかさをともし、場をシフトさせ

とても貴重なものを贈ってくれているということ。

完璧ではなくても、そのとき、そのときで
私たちは肉体にいるからこそ、

この肉体の世界に、光をもたらしているのだということ。

きれいに取り澄ました表情ではないけれど。。。

ただ愛に満ちた自分自身が、私たち自身が
肉体の表面的な現れ、姿、行動の奥に居る。

そして一人一人が、

その自分の身を燃やすようなさまざまを通して、
時には苦悩、悩み、悲しみ、苦しみも通して、

世界へと光を送り、

その光でわたしたちは、大元でつながっているということ☆

自分自身の道を、オリジナルな道を私たちは歩くし、
それしかできません。

けれどそこを歩くことは即、
世界へ、この世へと光を贈ること。

私たちが一人一人にしかできない、オリジナルな方法で♪

そんな深いあたたかさを感じさせてくれた
この個性派のキャンドル・クォーツ。

ある方が最近シェアしてくださいましたが、

きれいな磨き石も好きだけれど、
なぜか原石に最近惹かれる。。。ということ。

私も同感です。

英知が石、クリスタルの形をとって
私たちにギフトとして与えられている☆

それと触れ合う時間が、私にとっては極上のステキタイムです♪

やはり、クォーツは魅力的ですね!
ある意味、きりがないです、素敵過ぎて。(苦笑)