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2025-01-05

価値観の揺れ、新しくなる時

まずは新年のご挨拶♡

今日は2025年の6日目。

少し遅れましたが、今年のご挨拶をここでさせてください。

新年明けましておめでとうございます!
今年もゆるりとどうぞよろしくお願いします♡

みなさまもお正月休みから、そろそろ仕事再開。
そんなタイミングでいらっしゃるかもしれませんね。

年始年末を過ごして、すっかり2025年になじみましたか?

私は実は、明けてからすぐになぜかわからないですが、
すでにもう何日も経っている感覚がして、それを友人に伝えたら

不思議そうに「へぇー!そうなの?」、
そんなやりとりをしていました。

先ほどゆっくりお風呂に入って「緩む~!」なんてご機嫌でいたら、
急にブログを書きたくなりました。

お水と創造性、ひらめきなど、関連あります。

価値観の転換期

お風呂で思っていたこと、それは「価値観が大きく展開中の方、多いな…」ということ。

そんなことを思っていたら、私が若い頃に迷い子のように心が彷徨っていた頃。
それを思い出しました。

そして迷子の心もとなさは年齢に関係なく、あるいはある程度の大人女性だからこそ、惑ってしまう。

そのような大きな規模の転換期に、知らず私たちはもう入っているのだと改めて感じました。

若かりし頃、迷子になった話

私が若かった頃、ちょっと振り返ってのお話なので、もう随分と前のことです。

随分前のことですし、何かご参考になるのか…私にもわかりません。

若い時、価値観が大きく揺らぐ経験を何度かして来ていること。
それは、必要があっての体験だったのでしょうし、何か意味があるのだろうと今は思っています。

ある意味で、時が様々を昇華させて来て、振り返って観ることが多くなって来ました。
そんな観点から、今の、あるいは今からの変容について書いてみようと思います。

内側の変容プロセスのチャレンジ

人ってわかりやすい不幸やチャレンジは、受け入れやすいですし、他者も理解や共感を寄せてくれます。
ある意味で、その状況の中に自分を埋没させてしまうことが可能です。

わたしが経験したのは、そういうわかりやすい困難、チャレンジではなく(少なくても当時そう思っていた)、
「感謝できない自分」を責めるしかないという、わかりにくい状況でした。

わかりやすいというのは、肉体に現れていること、言葉で理解してもらいやすいという観点からです。

わたしのチャレンジは主に心面、感情面で、人と比較することでもなく、目に見える部分でもないことにおいてでした。

その時心が寒々としていて、若くて恵まれていると人には言われる境遇なんだろうに。。。と、
乾いた心の扱い方がわからずかなり悩みました。

そして、それを表現して良いとも思えなかったので、ただ我慢して
他者にその思いを悟られてはいけない、そんな風に思っていました。

単に自分のわがままなんだとしか思えなかったのです。

具体的には、若くして結婚して慣れない土地での暮らしを始めてから、人生の土台がすべてひっくり返ったようでした。

今思うと、関係性での感情面での相性も合わなかったんだなと思いますが、ぎくしゃくする関係、
特に自分自身との関係がきつかったです。

いろいろなことをまじめに頑張っているのに、自分を責める声が大きくて自己肯定感も低かったのでした。

そもそも、結婚に覚悟があったわけでもなく、なんとなく相手の転勤に合わせてフワフワと結婚を決めてしまい、
実は心の準備も整っていなくて、弱い根っこだったと思います。
そんな根っこだったので、新しい土地にうまく根を下すこともできず、余裕がなかったんですよね。

結婚前の私は、ある程度恵まれた環境にいて、おしゃれな場所でお仕事して若さが故の楽さを当たり前と思うという、
浅い視野で生きていました。

けれど結婚してからの現実においては、フワフワとばかりいる訳にいかずすぐに壁にぶち当たりました。

けれどその行き詰まった感を認めるのがまず嫌でした。
素の自分の、「実は何もない」という状態、みじめな気持ちを認めたくなかったのです。

特に外側から見えている、幸せそうに思われている自分と、内側で感じている自分の気持ち。
その差が大きすぎました。

チャレンジの源は、その時の状況でもなく…

恵まれているのであろう環境や相手に「感謝できない自分」ということが、とても辛かった。

もともと脆い砦だったのだとしても、それまでの自我の元が崩れてしまい心細さで壊れそうでした。

自分の人生を創る内側の資質が十分に育っていず、またプチ毒親育ちということもあり、
「自分は無条件で愛される」というが信じられず、そもそも自己肯定感も低かったのでした。

風の時代と言われるこれから、個人が向き合うチャレンジ

私たちは今、大きな価値観の転換期にあり、今まで良しとしてきたことも転換して行き、
より柔軟な姿勢で人生を、社会を捉えることがマストになる時に生きています。

集合意識も大きく変容し、社会の価値観もものすごい勢いで変化しつつありますから、
今まで正しかったことが、これからも正しいと認知されるとは限りません。

そんな時に、何を指針として歩んでゆけばいいのか…と途方にくれる人も出て来ると思います。

誰もが内側を裏表ひっくり返されながら、素へと戻って行く過程にあります。

その過程には手放すこともあり、物質的なものを手放すのも楽ではないですが、
価値観や思考、好み、信条、物の見方なども手放すのは簡単ではありませんよね。

特に大人世代にとっては、それだけ長くなじんでいるということにおいて、難しさも増すのかと思います。

柔軟性が一つの鍵

女性の素晴らしさの一つに柔軟性がありますが、
心の柔軟性を保てている成熟した大人女性は得がたい存在ですし、社会にとって大切な存在であると思います。
シャーマン的な存在としての知恵の蓄え、経験から来る温かさと厳しさのバランス。理解力など、
年齢を経た経験を通して、他者に、社会に贈ってゆける宝物。それがいっぱい詰まっていると思います。

そう考えると、女性の在り方って本当にこれからさらに大切。

自分らしく生きるには正直になること

これからの時代は、自分に正直に生きることが必須。

これが芯、土台となって、自分らしい紡ぎ方で素直に生きる人生です。

そしてその過渡期には、若い時の私が感じたような大きな戸惑い、他者軸で生きてきた空っぽ感。
取り残された感覚。人のせいにしたくなってしまう弱さ。

いろいろ感じたくない感情も浮かび上がりながら、脱皮をするプロセスもあるかもしれません。

無駄なことはひとつもない、神が導くプロセス

若き日にあのどんよりした日々を過ごして思うのは、けれどすべて無駄なことはないということ。
その時には辛かったり意義を見いだせなかったとしても、命自体の知性が導いてくれているということ。

そこにおいて間違いはないし、必要な存在に導いていただいたり、天からの助けも必ずあること。

一人ぼっちで生きているのではないということ。

今若き日の自分が悩んでいたことについて、「もっとこう出来ていたらよかったのに」と思うわけですが、
その時には難しかったことが理解できるようになり、包容力も増えている。

人って変われるし、また変わらざるを得ないです。

これからの人生を生きて行くには、柔軟性や軽やかさ、素直さが必要だなとひしひしと感じています。

 

 

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