2020-08-03
中庸にある学びー全体性
中庸 この言葉から、あなたはどんなことを連想されるでしょうか?
右にも左にも傾かない、穏やかさと共にある英知の道。
わたしはこんな風に思います。
けれど実際、中庸にあること、バランスをとって生きることは、
易しいときばかりではありません。
外側のさまざまな影響を受けて、大きく揺れてバランスを
崩すときもあれば、
内側からふるふると震えて、なかなか真ん中にいられない、
そんなことも、人間存在としてはあります。
また、本当の中庸を学ぶために、右に傾き、左に傾き、
その時々での体験を通して、腹に「真ん中にあるとはどういうことか」が
やっと入ることもあります。
中庸というのは在り方ですので、理屈でわかったりするものではなく、
やはり体験を通して身についてゆく、
そんなものでもあるかもしれません。
あるポイントにおいては、右に大きく傾き、
またあるときにはそれを補償するかのように、反対に傾き、
その時に多少極端な状態を、実際体験することを通して、
反対の極にあることも、実感として心に深く落ち、
自然にバランスの取れた在り方へと、シフトすることも多いのです。
バランスは、小さく器用にまとまる中で生まれるというより、
その両方も体験する中から、生きた英知として生まれ、
ダイナミックさも伴いながら、
はやまらず、勇み足せず、落ちつきと共に、自他双方にとっての
ベストな在り方ややり方を導き出せる土台となれば、
とても素敵だと思います。
私たちが歩む道は、その意味ではいつも中庸という観点があり、
そのスパンは短い、長いの違いはあるとは思いますが、
常に、私たちの顕現意識より、ずっと長い規模で計画され
導かれているのだと思います。
関連記事