柔軟性と自分軸
自分軸という言葉
自分軸という言葉、よく聞きますけれど、
そもそも男性には自分軸という形容詞がつくことがあるのかな?と
思ったことが一つと、
最近迷い鳥と過ごす中で感じたことについてです。
女性の特質-柔軟性
女性は何か突発的なことが起こっても、割に柔軟に取り入れられるし、
すでに決まったことがあっても、それを融通させて割り込ませて
なんとかこなすことって、生活にとても多くあることだと思います。
お料理もそうですし、「ながら」で、お料理しながら別のことも
たいして努力もなくさっと出来ていたりします。
別々のことを同時進行させて、すべて把握するのも
女性にとっては普通にできることですね。
これはきっと女性が長く家族の面倒をみる、子供の面倒をみるなど、
他者の様子と連動して動くことが多かったことと、関連していると思います。
DNAレベルのことでしょうか。
家族をケアするためには、何か突発的に起こったことには随時、
ある意味常時対応してゆかなければならない。
自分の頭の中の to do リストの範囲を超えるのはかなり頻繁です。
その、ある意味「当たり前」という状況で発揮している「自在性」
「柔軟性」「全体を見通して動ける質」など、
たくさん素晴らしい質が実は何気ない普段のそんなシーンに
活かされているわけですね。
迷い鳥との出会いで
実はこの1週間、迷い鳥という突然の訪問者があり、弱っている様子だったので
かなり心配して見守りました。
その間、テラスに居てくれたのですが、
嵐の中でも不安定な高めのところに止まっている様子など、
鳥の生態を知らない私は、もうヒヤヒヤしながら見守ってお世話しました。
そうなると、自分が立てていた優先順位は全部壊されて、
お世話しなくちゃ!と思った存在にまつわる色々に
自然に心が飛んでゆきます。
かき乱されつつ、それでも優先順位として自然に心に訴えること、
それを柔軟にやりくりする。
女性の特質として、それはあまり努力も要らず出来てしまうことですが、
例えばそれが男性だったなら、どうかなとも思いました。
男性の取り組み方と女性の取り組み方は違う
男性は他者軸的に回りの様子を見ながら自分のやることを決めたり、
譲ったりすることには、抵抗が生まれるのじゃないかなと思ったのです。
男性は一般的に、思考や物事への取り組みが直線的という印象があります。
自分軸と他者軸の統合
私たちが『自分軸』というとき、
そこにはやはり「自分がやりたいことをしっかりやりたい」という気持ちがあります。
なんらか、自分を主体とした確固とした世界をつくれることへの憧れというような。
そして、それももちろん素敵なことなのですが、同時に、女性が自然に出来てしまう
その「特技」と言っても良い、他者の事情と調和させながらの柔軟性の発揮。
これもやはりとても尊いものであるなと思いました。
自分軸も、良い意味の他者軸も、どちらか一つだけということではなく、
色で言ったら、グレイのシェードのように、自分の個性や感情に合わせて
バランスよく統合させること。
これがベスト、こんな風に思いました。
両者には矛盾することも出てきますし、なかなか自分にとっても
心地よい形で統合するのは、そう簡単ではないかもしれませんが、
これが出来て来ることが、成熟した女性のあり方としては
自然なのかな~と思ったりしています。
自分軸でいられないこともギフト
夫を見ていても思うんですね、男性って特に意識しなくても「自分軸」。
でも女性は意識しないと自分軸でいられないところがある。
でも・・・それがマイナスであったり矯正しなくてはならないものではなく、
そのギフトをちゃんと認めて、自分にとって良い具合に
使って行けるようになった時、それは他者にとって役に立つだけではなく、
自分にとってのギフトともなる。
強さとやさしさと同じで、一人の人間の中でいかに両者を表現出来てゆくか。
これが生きる上での、その人その人の個性や在り方を創るのであり、
大きな意味では人生のアートですね。
そして、自分では「子育てで忙しくて、何も確かなものを築けていない」
「人のお世話で毎日が終わって、自分がからっぽ」と思ったりするようでも、
自分がまずそのギフトを認めるのがとても大事です。
ちゃんとお世話をしてくれる方の元へ、迷い鳥のピヨピヨちゃんを
本日里子に出して来て、考えていたことでした。
テラスが片付いたのを見ながら、ほっとしながらも寂しさもあって、
餌をついばんだ後でひざに乗せたクッションに飛び乗って来て、
羽繕いをしたり、時には安心してウトウトしていたことなど、
いろんな情景が思い出されます。
ピヨピヨちゃんには少し振り回されましたけれど、
でも、そういう小さな命を大切に見守れる、
そんな細やかな気持ちは、やはりギフトなんだなと思いました。
そして「ピヨピヨちゃん、長生きしてね!」と願っています。