アサーティブネスで自分を立てる
「キレる?力」
実はタイトルを「キレること」としようと思ったのですが、
響きがちょっと強いので、「自分を適切に主張する力」ということで^^
アサーティブネスとしました。
先日その名の通りの本(『キレる!』)を読みました。
そして日本人には必要な考え方、姿勢が書いてあると思いました。
*ここで「キレる」は言葉や行動で攻撃的になることではありません。
自分の境界と感情や大切なものを守るための適切な表現力の一つです。
この記事ではそのことについて。
ドイツ社会での自己主張
私は日本ではないヨーロッパのドイツというところに住んでいます。
ここドイツは、子供でもしっかり大人相手に話ができ動じることもなく、
「表現する」「主張する」「考えを述べる」ということ、
あるいは「話し合う」という姿勢が社会で尊ばれています。
ドイツ人の夫に聞いたところ、
ドイツでも「話すことは銀、沈黙は金」というそうなのですが、
(日本の「雄弁は銀、沈黙は金」と同じですね。)
社会でほんとにそう認識されているのかというと、
日本人の私にはそうは思えず、やはり適切に主張する力無くして
社会で不愉快な目に遭わずに泳ぐことは無理なように思います。
ドイツ人が話すのを見ているとまるで演説しているように、
自己主張の持ち時間があるかのように、ボールを投げあうのではなく、
しっかり主張するというやり方をします。
それだけ「自分はこう思います」と表現する力が必要とされます。
その分、個人の意思を尊重するという側面がある文化ではあるのですが、
自己主張を各自がする社会なわけですので、折り合いをつけるというのが
日本流のようなものではなく、
主張と主張をぶつけ合って(表現、話し合って)、そこから初めてスタートする。
こんな調整の順を辿ります。
日本の空気を読む文化は少数派?
日本のようにぶつかる前に調整し合うということは、あまりありません。
ですので、日本人の以心伝心的、察し合う関係、文化ではないですので、
それを期待して自己主張しないでいると、自分だけが割を食うということになりかねません。
ドイツやヨーロッパの集合意識(文化)として、そうであるということです。
ですので私自身もここドイツに住んで、暮らしの中で触れ合うドイツ人との体験を通して、
日本人として当たり前と思うことが当たり前ではないという、
小さな文化摩擦を個人レベルで経験して来ましたし、それは今も続いています。
双方の文化から適切な塩梅を練る
摩擦が摩擦のままでは、
あるいは自分自身本来の文化というものを放棄してしまうという、
一方に偏るようでは、心の深いところから納得することはできませんので、
折りに触れ、双方の文化を較べその違いについて考えます。
個人同士でも本当に理解するためのステップとして
そして、自分と他者という、人生の来し方も考え方も違う者同士、
やはり話して表現して、お互いを理解しあうというプロセスは避けられないなと
思います。
自分がどんな考えを持ち、どんなことが好きでどんなことが嫌いか、
あることではどんな思いになるのかなど、相手が受け取りやすいような形で
表現し合うことがとても大切だと思います。
その過程で、もしかしたら一時的に波風が立ったり、
自己表現が攻撃的な表現に捉えられたり、お互いそれぞれのフィルターが
あるため、お互いに受け取るものが違って来るということも
起きると思います。
相違から来る小さな不調和を恐れない
すり合わせは必要であり、その際時には「キレる」という表現。
自分はどう思い、何が嫌で何に怒りを感じるのかをちゃんと示し、
適切な境界線を引くことが実践的に必要になって来るなと思います。
ドイツ人と交流していて思うのですが、なんでもなあなあで、
考えも表現せずただ微笑んでいるだけでは、個人として尊重されることはありません。
「あなたは何を思う人で、何に賛成して、何が嫌いな人なの?」
これをしっかり伝えなければ、あなたが何者なのかは伝わりません。
時には意見が違い対立することがあっても、人として自分を立たせるためには
必要なことでもあります。
自己表現するという、社会に生きる上での責任
回りを慮って、特に女性はアレコレと言うものじゃない。
そんな風に育った私にとって、普通の自己表現がすでに時に恐ろしく思えるのですが、
このドイツという文化にいると、
ちゃんと自己を表現することは社会に生きる者として必要なことと
改めて思います。
日本人は空気を読んで波風を立てないということが優先されますが、
世界にはそういう文化ばかりではなく、あるいはそうでない文化の方が多く、
要らぬ誤解や不利益を被らないためにも、自分の領域を示したり、
それが守られない場合は適切にキレたり、言葉で折り合えるようになる力も
とても大切だと思います。
世界が小さくなり、お互いの在り方がお互いに直接、間接に関係し、
関り合うことが前提の世界では、他の文化の在りようややり方も知っておくことが
簡単なことではないですが、改めて大切だと思います。