一周回りで再びつながる時-人間関係
再び出会って心を灯してくれる人
今日はこのテーマで書いてみます。
ある程度の期間の離れを経て、改めての出会いで
そこにあったギフトに気づいてゆく。
人間関係でもこれは起きますし、ドラマチックな別れと出会いではなくても、
日々関わる身近な人、パートナーや家族や友人。
その間でも起きますね。
物理的距離は空かなかったとしても、心の距離って旬であるものです。
出会った時はなんでも楽しくてツーカーで通じて楽!と思っていても、
相手も自分もそれぞれのペースで変化し続けています。
それぞれが違う分野で人生の学びを経てゆくということ。
関係性も常に変化している
同じペースで学びが進むなら都合が良いかもしれませんが、いつもそうではないでしょうし、
関係性も新陳代謝しながら常に変化しています。
考えてみれば、私たちは自分自身から逃れることはできなくて、
人生いつも一緒ですが(当たり前)、
近しい関係の人たちも、長いスパンで寄り添い
人生プロセスの証人になってくれているということでいえば、
とっても大切な人たちであることが改めてわかります。
自分自身との折り合い、他者との折り合い
そして、自分自身との折り合いでも、常に簡単にゆくわけではないですね。
時には自分に「はぁーー」とため息が出る時だってありますから。
自分にたいしてもそうなら、身近とは言え、家族やパートナーに対しても
いろんな思いが交差する時もあります。
私自身も夫との関係は結婚前から考えれば、30年近いですが、
そして、いろいろ良い面を持っている夫であっても、
「あーあ」と思うことはやはり時にあります。苦笑
特にコロナ下で価値観があぶり出された時などは、大元では一致していても、
細部の意見の相違もありました。
理系タイプで現実的な夫と、あまり現実的ではない私の間で、
話がかみ合わないトピックもありました。
折り合いが難しい時の風景も人生の一部
そんな時は相手の良いところも正直見えにくくなります。
そして一方がそうだと、他方も同じモードであることが多いです。
近しい関係は、短いスパンだけの間柄ではなく、
いろんな波もそれぞれ体験する中で日々付き合ってゆくものですから、
そこにも人生風景と同じように、いろんな風景が見えてきます。
穏やかな風景もあれば、雨の日、風の強い日もある。時には雪の日、かんかん照りの日も。
理解と尊敬という層が増えている
それらをそれぞれの人間力で乗り切って再び「出会った」時に感じるのは、
自分自身に再び対面するのと同じように、
あたたかな気持ちと尊敬の気持ち。
現実の日々の命の仕事って偉大で、なんでもない日常を通して
人として、魂として、やはり進んでいるんですよね。
自分自身も、相手も。
異質なものをバランスさせる力が培われるのも、関係性の良いところです。
そして、相手の問題だと思っていたことも、究極は自分自身のものである。
この気づきを受け入れられた時、本当に自分自身とも相手とも調和してゆけます。
人生のギフトは長期スパンのものも
人生のギフトって、ある程度のスパンがないと開けられないものもありますし、
最初はあまりうれしくないなと思っていたら、後で偽装したギフトだったと気づけるという、
時差をもって真価を伝えるものもあります。
私も日々夫との暮らしで常に支えられて生きているわけですが、
今こうして書いている時も、週末シェフの夫が作る夕食の支度の音を聞いています。
そしてつくってくれているのは日本食。
骨から外すところから始める鶏の照り焼きがメインの今日の献立です。
ドイツという異国で、ドイツ人夫が日本食をつくってくれる。
私はただそれを待っていれば良いという、うちでは当たり前の光景ではありますが、
けれど思えば、大変ありがたいことです。しかもお料理の腕も年々上達しています。
そんな小さなことから、さらに豊かさを伴って、
再び出会えていることに気づけることはうれしいことです。
感謝できる感受性を磨くのは自分の責任
当たり前という顔でつい見過ごしてしまわないように、
小さなことを見逃さない感受性、それは保ち続けたいなと思います。
そして命自体の知性を、ただ信頼して生きてゆけば
究極いいのかなと思ったりもします。
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