関係性は、当たり前だけれど双方でつくるもの
関係性が重荷になる時
「人ってめんどくさい! 関わらない方がずっと楽!」
「人との関係性は思い通りにゆかなくて、絡まった糸のようだわ!」
親しい関係って、楽なばかりではなくて、
怒り、悲しみ、苦しみが生まれることも多々ありますね。
けれど反対に、相手がいなければ味わえなかった喜びや、弾む気持ちも
もたらされます。
関係性は水面を揺らして変化する波紋のよう
水面の波紋のそれぞれが干渉して、
さらに別の波紋、輪を作る様子、それを関係性と聞くと思い浮かべます。
関係性って、片方だけで完結するのではない、これは当たり前ですし、
絶えず揺れていて、思いがけない作用で新たなものが生まれる可能性を含む、
複雑なものであるなと思います。
私自身の夫や家族との関係を考えても、
それは波があり、いい時もあればそうでない時もある。
そして、コントロールできそうで、けれどできないものだなぁと。
整合性があるかどうか
乱れを生む干渉は、全体の整合性を崩しますよね。
自分の内側であれ外側であれ、整合性や調和の美が失われるということは、
宇宙的にどこか自然から外れ、ねじれている状態ということ。
そして、その状態はたいがい双方で一緒につくっているものです。
ということでいえば、ねじれを相手の中だけに見つけるのではなく、
フォーカスの矢印を向け直してみることも、必要なアプローチなのかなと
思ったりします。
相手は鏡で、見ているのは自分自身?
相手が悪い、相手をコントロールしたいといきり立つ気持ち。
それをちょっとだけ抑えて、
「お互い様なのかも?」「相手ばかりじゃなく、自分はじゃ、どう?」
こんな風にとどまれることが、究極の強さであり賢さかもしれません。
やわらかい心があり、本当の賢さがあれば、
相手と自分の違いがあっても大きな不協和音にはなりません。
不協和音は尖ったもの同士の間に生まれてしまうものだから。
素直な動物の在り方
たとえば動物は不協和音をもたらさないですよね。
ですので、私たちは動物を深く心を開いて愛するのです。
彼らは柔らかく在って、シンプルに生きています。
余計なものをくっつけていません。
傷つきたくない子供心が棲んでいる?
そもそも私たちが傷つけあったり、鎧としての頑なさや合理性をまとうのは、
そのままでは心の柔らかさを守ることが、叶わないと思うからです。
そして、大事な心を傷つけられたくないという気持ち。
それを知っているだけで、トゲトゲして許しがたい!と思うあの人やこの人を、
「ま、良いことにしようか…」と、しぶしぶでも思えるかもしれません。
お互い心のどこかに、傷つけられるのを怖がる小さな子供がいるのだとしたら、
そして、究極自分自身にトゲトゲしているだけだとしたら…
それはなるべく優しい意図をもって関わるのがが正解ですから。
それぞれに個性ある関係性
関係性はそもそもいろんな形があって、それぞれ個性ある生き物のようです。
私の周りには、様々な関係性の在りようを見せてくれる人たちが居て、
それは例えば、
仲の良いゲイカップルさんだったり、
もう10年も別居婚をしているキャリアウーマンの友人だったり、
年の差、20以上の国際結婚カップルだったり、
妊娠期からシングルマザーを貫いてきた女性だったり。
形が違っていても共通なのは、
誰もが自分の素直なところから、
自分なりの幸せを見つけたいとまっすぐ思っているところです。
一番大切な関係-自分自身と
そして、対象としてお相手という存在がいる、いないに関わらず、
まっすぐな自分の願いを大事に出来ているなら、
関係性で一番大切な自分自身との関係において、
調和とインテグリティ(品位)を育めているということですから、
それだけでもとても幸せなことだと思います。