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2020-03-28

自分軸と非二元

自分軸で生きるというと、なんだかどこか肩ひじ張るような
強気を表面に出した生き方のように思えるかもしれません。

しっかり者が人生の手綱(コントロール)を自分で握って、
自分主体で人生を展開してゆくというイメージも。

私はここ最近、特に2018年と2019年の前半、非二元に強く興味をもって、
有名なイギリスのティーチャー、ルパート・スパイラさんのオランダでのワークショップにも
参加したりして、またいろいろな本を読んだり Youtube を見たり、
ドイツでのディスカッショングループのミーティングに参加したりと理解を深めてきました。

非二元って、シンプルに言えば、二極対立ではなく、全体として見る統合的な見方。
お勉強や理屈でわかるものでは、そもそもありません。

この世に神がいるとしたら(非二元では神がいるとも言いませんが)
その視点からの見方と言っていいのではと、私は考えています。
良いも悪いも、高いも低いもない。

エゴの機能でああしよう、こうしよう、これはだめだ、こうだという、
そういうものを抜けて、そもそも「ワタシ」って何?
何を「自分」と規定するの?から始まり、慣れ親しんだ
「自分」基点からすべて展開する、世界の見方と随分違うのは確かです。

こんな、ある意味であやふやなというか、つかみどころがないモノに
興味を持つ人ってあまりいないので、最初にドイツでのミーティングに参加した時には、
お互い「出会ってくれてありがとう!」と感激ひとしおでした。
共鳴する人がなかなかいないため、こんな風にして会えたご縁の尊さ、
そんなうれしい気持ちでした。

話を「自分軸」ということに戻すと、非二元などでの自分観、世界観というものと、
随分と違うと思います。

「自分」がなにかをコントロールできると思っているという点。
そもそも「自分」という定義が生まれる土台も違います。

私は非二元的な見方と、いわゆる普通の「自分」がいる世界、
どちらも興味をもって眺めながら、
自然に「大悟」するのではない場合、
どこかに「自分」意識って残っているので、それをどうこうというより、
それが幻想であっても、「自分の人生をクリエイトする」という考え方は、
人生を充実させるために、あっていいと思っています。

そして、その在り方に優しさや安らぎが入るためには、
背景に、非二元的な理解もあると、よりしなやかになるとも思っています。

違う質が出会うと、より全体的でシフトしたものになる。
それがあると思っているからです。

個人的に、私たち女性が目指したいのは、肩ひじ張った「自分」主張の
固い在り方ではなく、
優しさや優美さや思いやりを含んだ、凛とした尊厳のある在り方、生き方。
自分をまず尊敬できている在り方です。

日々の暮らしを大事にし、回りの人をケアできる女性だからこそ、
自分自身のためにも立ち上がれる、必要な時には勇気を持ってNOも言える、
そんなバランスの取れた在り方が大切。

それが地球も癒し、周囲の人も癒してゆく、その原点だと思っています。

ここまで書いてきながらも、すっきりと表現できていると思えないのですが、
そもそもある意味で、色味のシェードがいろいろあるとして、
そのファジーなところを常に動いて行き来して、生きているのが私たちでもあります。

今の私の折り合いどころが上に書いたようなものであるのですが、
これも常に変化してゆくもの。

言葉で表現しきれるものではないものを書く場合、
落ちどころがないと感じるのですが、それもまた、言葉として
より抽象的なものを切り取る際には付き物なのかなとも思いますが、
それでもシェアさせていただきたく書いてみました。

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