ハーミット(隠者)も市井に居る時代
ハーミットと言えば、タロットカードのランタンを照らす賢者、
市井の喧騒を逃れて洞窟とか人気のないところで修行して
光明を得るというような、そんな英知携える存在です。
今日瞑想をしていて、具体的なことというより、
自分の思考の癖が最近クリアに見えることが増えていて、そのようなことを
考えるでもなく思いながら、ただ静かに座っていたんです。
そうしたら、あるフォームとしてその思考の型が内側にセットされているとして、
それが外れてゆくという、イメージとしてそれが浮かんできました。
そしてセント・ジャーメインに頼んで、さらに浄化をしてもらいました。
すき間時間の、夕食を終えて自分の部屋の瞑想用クッションに座った
夕暮れの一時。
窓の外の、ソフトな夕暮れのオレンジ色のシェードがきれいだなと思って
心を抜いて座っていて、ふと感じたことでした。
思えば、以前瞑想に関しては、今よりずっと厳格でした。
日常でこなす家事時間とかいろんなものを早く終えて、そしてなるべく
多く座りたい、心を整える時間を作りたい、そんな風に思っていました。
そして、今は?と言えば、ずっとずっと緩やかです。
瞑想したければするし、したくなかったり、別のことで時間がいっぱいの時は、
無理せずなしにすることもあります。
そして思ったのは、そんな修行系の、ハーミットのように日常から離れて
ある境地を目指すというのでは、今はなくなっていて、
ほんとうに、日常とスピリチュアルがごくごく近い、それを改めて感じました。
普通の日常を送り、感情のアップ&ダウンもあったりしながら、
いろんなことを考え、気を散らして生きているように思えても、
実は「今の空気」の中にいるということだけで、変容の様々が
私たちをもれなく運び、その人、その人のペースでそれは止むことなく、
ある意味シャワーのようにいつも降り注いで、進化を促している。
変容は着実に進んでいるのだなと感じます。
どういうフォームでやるのかというのは、一番大事なことではなくて、
ただ日々アンテナを立て、素直な自分の気持ちを感じ、
やるべきことを、できる範囲で、かつ良い感じでできることを心がけ、
等身大の自分をいつも丁寧に受け取ってゆけたなら・・・
それでいいんだなと思いました。
ハーミットも洞窟を後にして、町、市井にいる時代なのだと思います。