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2021-07-13

異文化で第3チャクラが鍛えられる

異文化になんとなく降り立ってしまって

何かのご縁なのか、
深い意図も計画もなくドイツに軽く住み始めてから、
なんと、20年も経ってしまいました。

その間、当然いろいろな経験もして、その中には文化を折衝する
内側の動きも絶えずあり、安定した心持ちというより、
知らないものを知りたいという、そういう探求心。
そしてもちろん、同時に困難もありました。

それはある意味で、幼児が手探りでいろんなことに手を伸ばし
体験を通して彼らなりの世界をつくって行くのと、変わらない過程。

降り立っては見たものの、小さな日常レベルからの擦り合わせ

ドイツ暮らしを始めた当時の私は、幼児ではないし、年齢を言えばかなりの熟ごろ。
価値観はそれなりに日本でできた後に、内面を、外側の世界、集合意識(文化)と
再びすり合わせる必要性は、日々の小さなどこにでも転がっていました。

そしてそれは、心の力が充実していて、関わること、人が心地良いものならば、
もちろん新鮮な楽しみをもたらします。
けれど、日常って、いつもいつも快適ではないし、
自分にとってだけ都合よく展開するわけではない。
当然、悔しい思い、情けない思い、なぜという思いをすることもあり、
そして多分、生まれた土壌(文化)とつながっている場より、感じやすいです。

繊細な気質が故のチャレンジ

しかも私はHSPであり、ヒーリングなどをしていて、
直感面が強く、感性面がかなり繊細な質。
正直、この質と、今住むドイツは相性があまり良くないなと思うのですが。

けれど同時に、あまりに違うので、そこに橋をかける努力をせずには
いられない、その結果、たくまず苦手分野が強くなる。
これは言えるのかもしれないです。

ドイツのイメージと実際

ドイツ暮らし、
みなさまはどんなイメージを持っていらっしゃいますか?

「かっこい車の国? で、高速も制限ないんでしょ?」

「真面目だけれどビールが好きでガブガブ飲む人たちの国?」

「質実剛健で堅実そうよね?」

「緑や自然が豊かでのんびりできそうだなぁ・・・」

ま、いずれも当たっているとは言えますけれど、
人も文化も多面体。
そして相性というものもあります。

ドイツと第3チャクラ

私から見たドイツ、一言で言えば・・・
『第3チャクラの国』です。

独特のコミュニケーションスタイル。
その、一人演説しているのかと思えてしまうほど、
滔々と自分の考えなりを発して、それでコミュニケーションとする文化。
(もちろん、人に依りますので概論、一般論です。)

日本語のテニスのラリーのように、適度なところで相手にボールを返す、
双方で作っていくという感覚で見ていると、テレビでの発言も身近に接する人の話し方も、
かなり違和感を感じます。

第3チャクラというのは、属する世界で自分を立たせてゆく力です。
この国、ドイツはそれを要求され小さな時から訓練される国です。
誰もが自分なりの(視点の)論理を持ち、それを表現し、
もちろんそれが噛み合う場合ばかりではないので、
そこで対立する構図になって、じゃ、実践的にどうする?と段階を踏んでゆきます。
その上で、お互いが無理なく納得して行こうという姿勢がある国です。

ですので、日本のように「沈黙は金」
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」的な、控えめで謙虚な姿勢。
自分側の論理はちょっと引いて相手も立て、なるべく対立する前に手を打って、
心地良くないのは回避しましょう。
この姿勢ではやってゆけない側面が当然あります。

第3チャクラ、双方の個が立つためには?

こちらの文化では、衝突してはいけないのではなくて、
みな違うのだから、各々弁明して、そして双方が立てる場を設けて
侃々諤々と議論して、ある意味戦って落としどころを決めましょう。
こんなステップが想定されているように思えて、仕方ありません。

日本の、噛み合わない気を察したらうまく逸らしてなんでもない振りをする、
そういう状態にもってゆく、そこには努力をあまり注ぎません。

日本人にとっては、
「自分の主張を強く押し出す」というところからして、
チャレンジに感じてしまい易いです。

私はこのあたりの文化的ちがいを、実体験で感じる度に、
「第3チャクラが強い国だよね~」と思うのです。

第3チャクラは、個人の力、自我を拠り所として
社会で自分の居場所を得て、なるべく自分に有利なように立ち回る力。
それを育て、まずは自分を愛し、自分を守るということが主です。

人を愛する、人と上手にやるということも、
まずは自分を愛して、その土台から延長としてというのが、
チャクラの旅でも順当です。

現実で鍛える自己肯定力

第3チャクラは、自分を肯定できる力、自信を蓄えるチャクラでもあるので、
他者との関わり、時には競争、戦いという側面も起きてきます。
そういう状況で鍛えられる力と言っても良いと思います。

そしてそうなるためには、自分と自分以外ということを
しっかり区別をつけないといけません。
境界、何が自分の世界に属していて、なには属していないのか。
この線引きなくして、個人のパワー、自我が獲得されることはありません。

日本の文化で、誰か他の人がやった失敗、ミスも
同僚のことならば、自分ではなくても謝っておくという、
集団に帰属してのやりとりが求められることがありますが、
こちらドイツでは、それはありません。

この集合意識というのか、大きく言えば文化というのか、
違いのすり合わせを難しく感じ、つらく感じることもあるのですが、
反対に、日本にずっといたなら感覚で知ることのなかった、
個人を立たせるということが、より肌感覚で感じられます。

強さは何のため?

そして私個人の課題としては、強い第3チャクラを何のために活かすのか?

これを高次チャクラとの関連とも併せて、自分ヴァージョンとして心地よく
使って行くことです。

簡単に言えば、

『マインドだけ強く活性させるのではなく、ハートの力とバランスさせる』
です。

第3チャクラの次は第4チャクラで、第1チャクラと第7チャクラまでの
ちょうど半分、真ん中です。
真ん中、一つに偏らないバランスを取るところ。

強さも優しさも、相互にもう一方の裏付けをするようなサポートとして活きるのが
一番良いのだと思います。

強さの陰には優しさが、心の温かさが。
優しさ、繊細さの陰には、強さ、自分軸の芯が。

異文化暮らし、自分の内と外、ダイナミックな影響があるということは
確かに自分の世界を広げるのに役に立ちますが、
タフでないとサバイバルできないな・・・と正直思ったりもします。

(とは言え、運転面ではこちら流に慣れたのか、
高速では流れに乗れば、140キロくらい出てしまっています。)

そしてその強さを獲得したところから、その視点で観ることで、
初めて、本当の「ドイツという異文化」も見えて来るのだろうなと思っています。

日本人らしい しなやかな強さで

私の中の強さ、弱さ、強靭さ、しなやかさ、外に出る力、内でじっくり練る力・・・
いろんなものを総動員して暮らしていますが、
そうですね・・・ ドイツの鋼のような強靭さに対するには
しなやかにしなって持ちこたえる柳的質は、役に立つのだろうなと思います。

強さにもそれぞれの表現がありますが、
私たち日本人には、しなやかな強さが与えられているのかなと思ったりします。

そして、こんな風に日常風景をチャクラと併せて観ることで
文化のすり合わせ面も、私の多面体的質にもバランス感覚が戻って来ます。

風の時代の個人の力

また今、『風の時代』『個の時代』と言いますが、

大きなものにもたれて、自分の顔(個性)を持たないでも大丈夫ということではなくて、
個人の自分の力というものを意識して、各々が発揮して行く時代とも言えます。

これは土台に、コミュニケーションの力、他者と擦り合わせる折衝の力、
自分で選んで、選んだことには責任を持つ力、
時には自分のために相手にNoと言って嫌われるのもいとわない勇気など、
いろんな総合力が必要だと思います。

そういう意味では、個人主義の発達しているドイツ人などから
そのあたりを学ぶということも良いのかもしれません。

(一方的にではなく、ドイツ人は他者への配慮、ハートでつながるということなど、
双方が学び合うのがベストだと思います。)

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