toggle
2021-06-06

「私」が見える世界、見えない世界

「見える」=意識化できる、「見えない」=意識外の奥底

「見える」「見えない」

これは私が、
あるいは、他の人から。

その両方です。

短くはしょったタイトルだと、
この記事のテーマがわかりづらいですが、
私たちの「見える」「見えない」にまつわる
4つのエリアのことについてです。

「自分のことは自分が一番知っている」って本当?

通常、私たちはこんな考えをもっていませんか?

「私のことは、もちろん、私が一番よく知ってます!」

これは4つのエリアの2つについては正解です。
けれど、他の2つのエリアについては当てはまりません。

ここでは、主にこの2つのエリア、
「自分のことは自分がよくわかっている」に当てはまらない分野、
これについてです。

自分の意識の4つのエリア

4つのエリアは具体的に、次のものです。

①自分もわかっていて(見えている)、
相手、他者も見えているもの

②自分にはわかっている(見えている)けれど、
他者には見えていないもの

③自分には見えていないけれど、
他者には見えているもの

④自分にも他者にも見えていないもの

前者①②は、少なくても自分が意識化できている分野ということで、
ここでは入ってゆきません。

後者③④の、いずれも自分が「見えない」=わかっていない。
このことについて書いてみます。

自分にとって見えない心の分野

他の人から観ると、その人の傾向や偏りがクリアに見えるのに、
当の本人は全然わかっていなかったり、見当違いを信じていたり。
これも折々起きますね。

誰もが色つき眼鏡というフィルターをかけて物事、自分も他者も見ているので、
フィルターが邪魔をして、私たちは誰でもニュートラルに観ることができない、
その要素をもっています。

「頑固な人だな~!」と思って見ていた当人から、

「あの人は頑固だよね」「あなたは頑固だよね」こんな言葉が出て来て
驚いたりすることってありませんか?

心理用語の投影というのが正しいのかどうかわかりませんが、
相手の目には反転したように、他者の性質、傾向として見えている。
こんなことって、結構ありますね。

これについては、自分が掛けているメガネに気づき、
修正して行くことでしょうか。

自分にとって見えない、さらに奥の分野

では④の、自分にも他者にも見えないもの。
これについてはどうでしょう?

そしてそもそも・・・

「見えないものならば、それでいいんじゃないの?
何かそれで困るわけなの?」ですが、

記憶や意識の奥底に沈んでいて、表面の意識には浮かばないとしても、
人生のいずれかで、何か突発的な出来事として、
その隠されて見えなかった感情なりエネルギーなりの存在が
かなりダメージをもたらす形で影響を与える、こんなことがあります。

それは自分の人生に起こる何かであったり、
自分の人生に登場するだれかとのやり取り、それがきっかけになり
現実に展開して行くものなど。

このエリアに関することは、通常の意識からは隔絶されていて
抑圧されているので、自分すらもあることに気づけていないわけですが、
それだけに、解放されていないそのエネルギーが顕現化した時には
人は面食らうものだと思いますし、突発的で対処法もわからない。
その現れたものもとてもパワフルで、対処できないように思ってしまう。

とはいえ、かすかにでも感じられるものなので、
それは夢で消えて行ったり、あるいは何気に受けたヒプノのセッションで
浮かび上がったり、何らかの変性意識状態になった時に抑えが外れて
出て来たりもあると思います。

私たちは「見えている」ものに対しては、意識も向きますから
それ用のトリセツも発達させますし、対処方法も上手になります。
けれど、そもそもあることに気づけていない、自分にも見えない分野って、
もうお手上げですよね。

そして思ってもいない人生の、特にここぞという時に出て来たりして、
その大きな影響で人生をひっくり返して行くことも起きます。

自分に見えない奥を認識するために

ギリギリまで溜まって爆発的な現われをする前に
何かできることはないかなということでは、
よく聞くことではありますが、「自分の身の回りの人をよく観察する」こと。

そしてその人、特に濃くかかわったり感情がすごくぶれやすい相手の持つ質、性格などを
「それはあの大嫌いな人の性格!」などと思わずに、
ちょっと一呼吸して「大嫌いは嫌いだけれど、案外と同じ質、私も持ってる?」と
問いかけてみること。

あるいは、身の回りで他者に起こることに気を配って、人ごとと簡単に済ませるのではなく、
それを見るということは、自分にもなんらか関りがあるのだろうと心を開くこと。
もちろんこれはバランス問題で、何にでも関わっていれば良いということでもなく、
適切な境界を引いて、自分の問題、他者の問題と線引きをすることは必要ですが。

けれどマインドの認知で、「これ、自分には全然関係ないから!」と、すぐ切り離す癖が
もしついていたとしたら、
回りの人のふるまいで、私が学べることが何かあるのだろうかと、
慈愛を含む目で観ることができるようになること。

他者も自分もつながっている

これを通して深層を感じて行くという、物の見方を通した
自分理解、他者理解になるのだろうと思います。
大きくは、他者も自分も同じなのだとしたら、
他者理解を深めれば、それだけ自分を知ることが大きくなるわけで、
自分にとっての「見えない」分野も、それを通して接触できることで
知らず理解や受容が生まれる。
こういう小さなことを通してなのだろうなと思います。

あるいは右脳的な芸術や映画などの表現作品を通して。

あるいはヒーリングを通して。

混乱する世の中にあって

世の中や身の回りが不穏になると、人ってやはり自分を守るために
殻を固くして自他を区別しようとしがちです。
けれど、本当はそういう時こそ、自分と他者と区切るものを超えて
他者や世界の様子から自分の見えない深層を、理解して行くということが必要で、

それをやらない限り、自分も知ることはできないし、
他者も知ることができないと思います。

一人一人の見えていない世界を浄めてゆくことで・・・

見えない世界をそのままにしておくと、
そこにある浄化されない思いや恐れが暴走して、
他者にそれを投影して責めたり、世界に対しての信頼をなくしたり、
それが大きくなれば戦争を起こしたり、対立を生んだりという、
その源が悪い方向へと膨らんでしまいがちだと思います。

ですので、自分を知るということの中にあるパワーを意識して、
明晰性を獲得して行くことは、先行きが見えない世界にあって、
一番必要なことなのかなと思います。

随分と観念的な記事になりましたが、
コロナやいろんなことが起きる中で、
私たちの心でもたくさん起きていて、起点はやはり
一人一人の内側の心だなと思い、書いてみました。

関連記事