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2021-05-21

ナツメグに響くのか、山椒に響くのか

食文化もそれぞれ

「このハンバーグ、やはりナツメグが入っているとおいしいね!」

「うなぎのかば焼きにはやっぱり山椒よね。」

ナツメグも山椒も、お料理のスパイスです。
前者は主に欧米で肉料理によく使われ、
山椒は日本で「小粒でもピリリと辛い」と言われ、重宝に使われてきました。

山椒には、「胃腸を温め消化を助ける効果」という効能があるため、
生活の知恵としてのハーブ、漢方使いですね。

ナツメグも「肉の臭みを消して風味を増す」という効果があり、
肉をたくさん食べる文化の欧米では重宝に使われるものです。

ここはお料理のページではないですので、それぞれのハーブ使いに関しての
記事ではありません。
これは先日お昼にパスタを作って夫と食べた時のシーンに関わります。

自分の視点からはよく見えても、相手の視点は?

テーマは食ではなく、
「人はいかに自分の視点で見ているか」と、
関連しての「日々の相手への感謝をつい忘れてしまう」ことについてです。

自分の視点で見るということでは、上のハーブ使いの違いのように、
文化や各人の考え方がそれぞれ土台にあるために、
そのフィルターをかけて見ていることを、つい忘れてしまうことがあります。
自分が持つ土台は誰もが持つ土台だと思ってしまうからです。
フィルターは各人ごとにあるのに、たった一つのフィルター(たいてい自分の)が
あるのだと、つい思ってしまうのですね。

ある日の食卓の風景で起きたこと

たとえば、パスタを食べていた時の風景として、
夫は欧米人ですので、ナツメグやシナモン始め、いろいろな西洋ハーブになじみ、
それをよく感知します。
そしてその彼は「日本食にはあまりハーブは使われないよね」と言います。
それは正しくもあり、正しくないということでもあるのですが。
日本には日本の香草がありますから。

けれど、西洋の味覚のデータを持つ欧米人の舌には、
日本のハーブはなじみがないため、それが何なのか感知できない点もあるのだと思います。
ですので、同じお料理を食べても、二人が感知するものは違うのかもしれないということ。

たとえば、夫はパスタに入っていた肉団子、これに私が今回ナツメグを入れたことに
すぐ気づいて、コメントしていました。
けれど、私が日本の香草、紫蘇を入れたなら、バジルかなと思うのかもしれません。

双方の死角があるために・・・

このお互いの視点から物事を捉えて、実は両者に違いがあることに
気づけていない時、誤解が生じます。
ハーブの種類を感知する感度が違ったりするのは、生活のごく小さなことだとして、

もう少し大きなことで言えば、たとえば「相手の思いやり」をお互いがどう感知するか。
こちらの方が生活や関係性に影響大ですね。
思いやりを受け取っても、感知していなかったなら、「ありがとう」という言葉には
なりません。

自分がよく意識する範囲のこと、自分がすることにはアンテナが立っているので、
小さなことでも気づき易いけれど、その反対に、自分のテリトリーでない分野、
相手のテリトリーのことには、気づきの感度がやはりどこか鈍る。
これは誰でもあると思うのです。
私は実はそのお昼の食卓の際に、ちょっと夫に不満をもってしまったのでした。

誤解は小さなところで生まれる

仕事が押したため、お昼を30分遅れでささっと食べて、
さらに次の仕事の約束が1時に入っていたため、そそくさと仕事部屋に
移動してしまった夫。
夫から、期待していたほど感謝が還って来なかった気がして、
ちょっと「ん?」と思ったんですね。

私はそのパスタにドライマンゴーを刻んで入れるという、初めての思い付きで、
自分ではワクワクしていて、それをまず言ってくれるかなと期待していたのが、
夫が気づいたのは、肉団子のナツメグだったのです。笑
肝心の、私が良いアイデアと思っていたマンゴーについては
「なんだろ、この黄色い小さいもの」と思っていたそうで、お互いフォーカスしていた点が
違っていたのでした。

それプラス、簡単にお礼は言ってくれても、時間がなくて気もそぞろで
そそくさと仕事場へ戻ってしまったので、
正直に言うと、報われなかった気がして味気ない思いがしたのでした。

少し落ち着いて、相手の視点を感じてみると・・・

けれどよく考えれば、それは私がフォーカスしている視野から見えたこと。

反対に、夫側の視野としては、
夫が仕事が混んでいても必ず愛犬のお昼のお散歩は行ってくれること。
その日も、押している中で次の約束も迫っている中、愛犬とのお散歩も急いで済ませて、
その後での食卓だったこと。
そういう全く違う風景と心の動きが双方にあったということ。

小さな食い違いというのは、そういうところで生まれるのだろうなと
食後のエスプレッソを一人でゆっくり飲みながら、同時に思ったのでした。

感謝が足りなくなっていることを反省

そして実は反省したんですね。
つい、「もっとありがとうって言われたかった」と思っていたのですが、
私は私で、いつも夫がしてくれていること、それが当たり前になって、
当たり前のヴェールで見えていなかったことも、たくさんあるということ。
感謝できることへの感度が鈍っているのは、夫ではなく自分だったかも?!と思ったのです。

よく女性はパートナーのしてくれたこと、してくれなかったことを
一つ一つ心の中で得点として、あるいはマイナスとしてカウントしたりすると
言われます。
自分の心の中でそれが始まりそうだったのですが、
つらと思えば、「なんだ・・・私だって。。。」と思い至りました。

人のことはよくわかるし、見えていると思っていても、
誰もが自分のフィルターがあり、見えるもの、見えにくいものがあるのだなと
感謝にまつわる恥ずかしい思いとともに、改めて気づけました。

簡単にジャッジすることを、気をつけたいなと思ったお昼の小さなシーンでした。

 

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