〜ドイツの春と、私だけの坪庭的サンクチュアリ〜

目に映る緑の効果
部屋の中でいろんなことをしている時に、
視界のどこかにやわらかい緑が入って来ると、ふぅーー―と気持ちがゆるむ。
新緑の和みって、心をほぐしてくれる。
ドライブの道々、
ドイツでは今菜の花のイエローが視界に現れたりする中で、
安定して成長している緑の色もみずみずしい。
植物自身が成長を内側から喜んでいるようで、それに触れさせてもらって、うれしさで共鳴するみたい!
お散歩をしていてもそう。
「あ、ここに色彩が増えた!」と思って目が行くそこには、
ピンクや白のお花が開いて、緑とは違う華やかさを加えている。
長い冬の後の、植物のちょっとだけの遠慮と、でもそれに反する強い生命力が、緑の色の柔らかさに反映して、
この季節、眺めているだけで心が喜びで満たされる。
ドイツの長く厳しい冬。モノクロームだった景色に、重いカーテンを開けるように光が差し込んで、
柔らかな若葉色が混ざり始めるのは、自然からの大きな恩恵。
今この記事を書いている机の横の空間。
ここにも柔らかい若葉色の木があって、それは常緑で丈夫なんだけれど、色が薄めで
針葉樹の厳しさが和らいだ雰囲気で好き。
植えた時はまだ1mもなかったし、土が固くて、ちゃんと育ってくれるかなと思ったんだけれど、
今は居心地よさそうに、ちょうど良い高さに育ってくれました。
そしてそばには、ちゃんとした土のベッドに植えた今はかなり太い茎になりつつある、薔薇の木も。
こちらは年に何回か、こんもりと大ぶりなピンクのお花を開かせる。
そして隣にはスイカズラも。(英語名はJapanese honeysuckleだそう。honeysuckleはフラワーレメディにもあります。)
このあたりは、ソファーからも見えるアングルなので、視界のどこかに入っているし、机に座ると横に見えていて、何かと視線が行く場所。
小さなサンクチュアリ。
今の家を買った時、敷地は広いのに寛げる場があまりないなと思った時から、
いろいろ試行錯誤して、『自分の場所』づくりをしてきました。
以前の持ち主さんが、お隣さんからの視線を遮るものをほぼ植えていなかったので、
当初はいかに外からの視線を遮って、プライバシーを守るかで頭を悩ませました。
実はね、ドイツ人と日本人で、住まいのプライバシーの感覚も違うの。
そして思っていたのは、大きなスペースでなくても良いから、
目が行くところにグリーンがあって、日本の坪庭のような感じも良いなと。
手入れが楽で、一瞬で少し心が洗われるような、そんな空間が欲しいなと思っていた。
そして今の季節、視線が流れるままに、外の景色を見る度、この家がこう育ったら良いなと思っていたことが、実は少しずつ叶って来ているのを改めて感じる。
プライバシーを守るための緑が同時に、『自分の内側』を整えるための大切な存在に変わっていたし、
守るための『壁』が、自分を解き放つ聖域をつくってくれていた。
こんな風に自宅も好みに育って来ているのと、第2拠点の賃貸のアパートの窓から見える風景が今、一面新緑に戻って来ているのが、二重にうれしい。
自分にとっての聖域、サンクチュアリはすごい場所である必要はなくて、小さな緑が見える普通の場所だったりする。
昔ね、貸家ですごく大きな芝生の庭がついていたところに住んだ時、最初はうれしかったけれど、慣れたら案外飽きるのが早かったの。
芝刈りにも時間がかかるし。
確かに絵にはなるんだけれど、
私は視線がふと止まる場所に一枝の緑があること。
その『緑のふんわり密度』が、今の私には心地いいなと思う。
これからも、視界に入る幸せの濃度を大切にしたい。
うちの庭は3箇所に分散してあって、入り口近くの庭は、ほんとに秘密の庭みたいになってる。
元々の大きな大きな松の木から、今は桜やプルーンや低木に様変わりして。
家の周りにいくつか自分だけの場所をつくって来て、
住まいも自分のライフスタイルに合っていることが大切って思うけれど、
最初からそうなっている必要もなくて、自分が住みながら変化して行くものでもあること。
今お気に入りの坪庭効果の、窓の大きなこのコーナーは、風水的にはいわゆる「欠け」で、ま四角ではない部分。
そこを外側の庭の部分の緑で補っている配置でもある。
窓越しの緑が視界に入ることで、一日に流れる時間がふと柔らかくなって余裕が戻って来る。
確かにこれも風水効果というか、心活性化効果かも!








