大人女性の静かな再起動:役割を脱ぎ「自分自身」へ戻る旅

〜大人女性 感性の取り戻し方〜
映画『ボンジュール、アン』に学ぶ
今のあなた、「誰」として生きていますか?
「妻」「母」「娘」「仕事の役割の〇〇さん」……。
私たちには外からの要求に応える、たくさんの顔、役割があります。
そして夢中で生きる中で、ふと立ち止まったとき。
「役割を外した自分は、一体どんな人間なんだろう?」
「私は本当は何が好きなんだろう?」
そんな自然な、けれどそれまでは考えたくなかった、無い振りをしていた
切実な問いが始まる時期があります。
今日は、そんな「惑い世代」の背中をそっと押してくれる、一編の映画と一人の女性の生き方をご紹介しますね。
実は女優ウォッチングが楽しいのもあって、好きな女優さんの映画を観ることが多いです。
この映画『Paris can wait』(ボンジュール、アン)の主人公役はダイアン・レイン。
彼女の別の主演作、イタリアのトスカーナ地方で運命の家を突発的に買ってしまったアメリカ人作家のお話。
その映画も好きでしたが、今回はさらに美しく年を重ねたダイアン・レインを見ることができました。
彼女の魅力は、無理な若作りをせず、重ねた月日をそのまま美しさに変えているところ。
主演作『ボンジュール、アン(原題: Paris Can Wait)』でも、彼女は等身大の女性「アン」を演じています。
有名な映画プロデューサーの夫を支え、子供を育て上げ、自分のことは後回し。
そんな彼女が、ひょんなことからパリまでの車の旅に出ることになります。
あらすじ的には、監督のエレノア・コッポラさんのご自身の体験も
すべてが実話ではなくても、形を替えて織り込まれているようですが、
惑い世代とも言える、50代くらいの女性の人生の静かな『再起動物語』。
役割を脱いだ次の章、どう開けたら良いのか実はわからない…
意識的にそう思っているかは別としても、実は大きな変容の時期。
そんな惑いを心の深くに抱えるアン。
目的地へ一直線に向かいたいアンに対し、同行者のフランス人男性はことあるごとに「寄り道」を提案します。
美しい田舎町の風景
(フランスでは「美しい村」指定があります)
土地のワインと、芸術的な料理
音楽のような言葉、目に飛び込む鮮やかな色彩…
最初は戸惑うアンですが、フランスの豊かな感性に触れるうち、
自分の中に埋もれていた「観る目」や「味わう心」がよみがえっていきます。
感性は自分を取り戻す入り口
頭で考えるのではなく、視覚、味覚、香りを通して自分のセンサーを再起動させる。
忙しい効率重視の日常で忘れていた「自分という人間」の輪郭が、静かに旅を通じて、
けれど確実に少しずつ濃くなっていくのです。
自分とつながるのに、体の感覚、感性を入口にすることで、心にもつながれます。
80歳の新人監督、エレノア・コッポラが伝えたかったこと
この監督さんのエレノアさんに戻り、彼女は巨匠フランシス・コッポラの妻。
偉大な夫を支え、娘のソフィア・コッポラらを育て上げた「内助の功」の人。
そして彼女がこの映画で長編劇映画デビューを果たしたのは、なんと80歳のとき!
長く役割の陰に隠れざるを得なかった、彼女自身の才能を表現する場として、この映画づくりがあったのだと思います。
実際ご主人の監督が、映画作りを勧めてくれたのだとか。
ちなみに占星術観点から、お二人をひも解くと
知性で深く結ばれた同志であると同時に、エレノアさんの中には
「伝統や枠組みを跳ね除けたい」という強い独自性が眠っていたことが伺えます。
夫を支える影の存在として生きる時期を経て、人生の最終盤に自らの才能を輝かせた彼女。
この映画は、彼女自身の「内なる刷新」の結晶だったのかもしれません。
人生の「リフォーム」に遅すぎることはない
人生の半分以上が過ぎ、景色が一通り見えてきた段階で、
誰しも「内なる整理」が必要なタイミングが訪れます。
それは、住み慣れた家をこれからの人生に合わせてリフォームするような作業です。
不要になった役割の整理と、
眠っていた感性の再発見(自分とつながる)
これから20年、30年を「私」として生きる納得感が鍵です。
若いうちのような勢いではなく、経験を積んだ繊細な目で一つひとつのピースを丁寧に繋ぎ合わせる。
その手間をかけることで、その後の人生の軽やかさは全く違ったものになります。
そしてその人生リフォームは遅すぎるということはありません。
この映画からも、人生を愉しむ余白の豊かさが流れてきます。
映画の中で、アンがヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂で涙を流すシーンがあります。
私もかつて訪れたその場所は、マグダラのマリアさまゆかりの聖地。
私はマグダラのマリアさまにご縁を感じるので、訪れた時はとてもうれしかったです。
そして、旅の記憶は案外小さなことで残っています。
たとえば、その大聖堂までの丘を上る道にあったアンティーク屋さん。
古ぼけた小さな壁掛け棚を買いました。
(今、それはミントグリーンに塗られ、バスルームで使われています。)
あるいは、大聖堂内の案内役の若い女性。
とても清らかな雰囲気の彼女と長く雑談したのも、よく覚えています。
エンジェルの化身かと思うような女性だった…
そんな小さな記憶のかけらが、今の私を支えてくれることもあります。
今、もしあなたが「何かが足りない」
「何かがかみ合わない」と感じているなら、
それは感性を動かす準備ができているサインかもしれません。
映画の中のアンのように、「静かな再起動」の一歩をはじめてみたら・・・
どんな風景が映って来るでしょうか?
思いを馳せることから、創造は内なるところで始まってゆきます。
おまけ:占星術観点からもう少し深く
お二人の出生時刻が不明で、月などの大切な天体が特定できないので、大まかな範囲に留まりますが…
その範囲内で。
コッポラ監督は深く鋭い知性を持つ方。
そして理想を掲げて進み、それを伝えたい熱い思いがある方。
(確か莫大な負債を抱えたことも)
映画のアンのご主人役の映画プロデューサーも、とても精力的に動き回っている人でした。
エレノアさんは監督より3才ほど年上で、若い時のお二人の写真からは同じ年ではなくても、同級生のような空気感がありました。
監督は男性ですが、エレノアさんは1930年代に生まれた女性。
二人の間の制限ではなくても、世間や社会からの女性を縛る圧や規範は、まだ今よりずっとずっと強かったはず。
そんな外からの制限、そして内側でも拡大と縮小、その力が拮抗していて、それは理想と現実の葛藤でもあったでしょう。
そして知性への渇望があったと思います。
それはご主人をサポートすることで果たされた部分もあれば、けれどどこか不完全燃焼になり得る要素でもあった。
人生を楽しむこと、情熱を活かすこと。
これを上手に取り入れることもできていた賢い女性で、うまくバランスを取りながら人生を進め、
監督やお子さんをサポートし、土台をしっかり固められました。
お二人のシナストリー(相性図)からは、監督の理想主義的なところを
現実の中でしっかり支えるエレノアさんの要素が見えます。
補完的な相性でもあったと思います。
ただ、すごくスムースだったというよりは、感性の点でもすり合わせが必要なところがあり、易しい関係ばかりではなかったよう。
ぶつかった時は激しかったかもしれないけれど、それはお互いを認める土台から生まれる、魂の直のぶつかり合いのようなもの。
認めるが故に拮抗する知性の強さと、同志的な絆の強さ。
お二人のオリジナルな絆を掬い上げながら映画も観てみると、より深く心に沁みます。









