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2025-08-15

「これまではこうだった」が参照できないフェーズ

変化を迎えた時…

あなたの心の中で

「説明できないけれど、根源的なところから大きく変わった気が・・・する」

「言葉にはならないけれど、今までと違う」

「参照するものが見当たらない」

こんな感覚、浮かび上がって来ていませんか?

 

私自身もこういう感覚、しばらくずっと感じて来たのですが、

似た感性の女性とのシェアでも同じ表現の気持ちが出て来て、

「あ、同じ!だ」って思いました。

つかめないものを、その過程でシェアするのって難しいです。

他の人と話す時にはたいてい言葉という、理性を通すツールを使います。
けれどそこに乗せられないなという感じがあって、シェアするのも迷ってしまいがち。

なにげない顔で変容は進行中

けれどね・・・

そんな同じような声を最近、チラホラと聞いたり見たりすることが起きています。

とても繊細で鋭いアンテナを持った人でも言葉になかなかしきれない、
そんなもどかしさのようなもの。

でもしばらくその中にいたからこそ、やっとどこか吹っ切れて来ているような、
その混合が起きているように感じます。

大きな変化って、地盤から揺らしますし、
それだけの波及があるものであるなら、大きな概念も巻き込む。

拠って立つところが知らず揺るがされて、「自分」とか自身を定義するものさえも揺らします。

ヒーリングって何?

ある方は「ヒーリング」というとらえ方も変化したとシェアしてくれました。

これは私も同様で、シンプルに言えば、あるいはちょっと乱暴かもしれませんが、
今までヒーリングを起こそう、起きてほしいと思っていた思いそのものが、

すでに同じようにはなくて、デタッチメント(執着が消える)、
それが起きる、起きないは、そもそもどうでもいいのではないかという、手放し感覚が生まれています。

それは人生の放棄でも諦めでもないのですが、

葛藤、格闘、矯正するのが「普通」と思っていたとして、その感覚がもうあまりない・・・ということ。

かと言って、悟ったとかそういうものでもなく。

単に「大事」としてそこにフォーカスすることがもうできないという、内なる認知から変化してしまった感じです。

過去のデータはもはや参照できない

認知というのが今までのことや他者の経験からのデータや教えから成っているとして、

そもそもその母体となるそこが変化してしまっているのであれば、「情報の場」自体が大きく変化しているわけです。

今までと同じような暮らしで同じように反応が起きているように見えつつ、
そこに微妙な「ん?」という新しい何ががすでに入って来ている。

そして、それを分類、ラベル張りもできず、その必要性も低くなっている。
そんなすっきりしない端境期。

それを人智でどうかしてわかるようになりたいと願うのも、どこかへ行ってしまっているようで、

シンプルに生きる。

その当たり前のところに戻る気がしています。

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