2020-06-02
静かな魂とつながる時間の至福
陽気が良い時期に外に座ると、2、3分だけと思っても、
ついじっと長居して、何もしないでただその時と空間を
味わってしまいます。
そこにあるのは、ちょっとした木だったり、特に美しい風景ではなくてOKで、
ただすっと溶けこみ、何を見ているでもない、
「ターゲット」「目的」のない、時間がそれ自体で展開してくれる
優しい時間です。
素の時間といっていいでしょうか。
何物にも染まっていないような、ただ時とともに静かにそこにある存在たちと
深いところで響き合いながらの、深い至福の時間。
何かがあるとか、何かがないとかは関係がなく、
その静けさと平和を入り口として、実はいつも共にある何かに
戻ってゆける機会が開けること。
それは、華々しいものよりずっと慕わしく親しみ深く、
「自分」とぴったり一つです。
その至福をいつもきっと求めているんだろうなと思いながら、
ある種の深淵は、なんでもない表情を見せて
ただそこにあるだけなのを感じます。
幼い頃、草原で味わっていた深い安らぎ感は、これと同じだったと、
ふと座った庭の片隅で思い出すことは、今の私のささやかな幸せです。
静けさがあること。
お日様が照っていること。
座れるちょっとした時間があること。
なんでもないことでも、確かにそこには恵みがあり、
いつもこと挙げて思わない、それらの尊さに気づいてゆける時間でも
あります。
外と内側がつながるようなそんな日常時間が、愛おしくてなりません。
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