花のように生きる
素直に生きる-花のように生きる
この「花のように生きる」というキーワードが
少し前に心に浮かんでいました。
これは特に新しいものでもなく、折々私はずっとそう思って来たのですが、
改めて来てくれたメッセージについて考えていました。
植物、お花って本当に素直にそのまま在るだけです。
そしてそのギフトである美しさ、和みをいつも、誰にでも贈ってくれ、
そこには自我がありません。
その自我のなさを先生と感じ、それを目指したいななど思ったりもします。
素直で競争心も、自分が!という心もなく、ただその質として持つ
素直な美しさをシェアしている。
そして枯れる時にはただそれに任せ、
そしてまた復活して成長のサイクルが始まると、
季節に合わせてエネルギーを再び外へと表現する。
すべてが循環の中にあり、ベストであり、究極の美であり、
存在としてのある意味高みの表現をしていつつも、
いつも当たり前の表情で横にいてくれている。
人がほんのちょっとの自我を離れる心を持てたなら・・・
人はどこかにやはり自我ってあるので、自分を無くすということが
なかなか難しいと思いますが、植物、お花のその優雅な在り方は
究極の英知あるあり方として映ります。
私たちがほんのちょっとでも、皆がお花の心を持つことができたなら・・・
きっと世界や自分の心のうちで起きる戦いが少なくなるはず。
そもそも「自分」って?というところから、私たちは勘違いをしているのだと
時々感じるのですが、お花のような一見か弱く、顧みられることなく、
はかなく見える命の中に、究極の在り方が潜んでいるなんて、
神という存在がいるのならば、その計らいはとても粋なものだなと感じます。
ティーチャーを身近なお花の姿で創ってくださった英知
自我が起こし続けるストーリーのまっただ中にあっても、
お花を見た時には、その、ただ素直に育ち、素直に花を開き、
素直に花を落とし枯れてゆくという、一連の循環を見せてくださる
尊い先生として、改めて感謝を送りながら眺めたいなと思います。