大切なものは目に見えない
大切なものは目に見えない
星の王子様での有名な言葉。
王子様の薔薇を思う気持ち。
キツネと王子様の関係。
目に見えるもの、見えないものの差は実は小さい
私たちの現実は、まだ「目に見える」もの主体に考えられているけれど、
物理学的には、目に見えるものと目に見えないものに
そう大きな差異はなく、私たちが思うより小さなものらしい。
触って見ることができるから「ある」。
それができないから「ない」。
こういう分類が今の基盤の一つでもあると思うけれど、
けれどその基盤にも刷新の新しい息吹が生まれているなと思う。
目に見えないけれど、在るもの
目には見えなくても「あると感じるもの」って、
実はいっぱいありますよね。
気持ちなんていうのもそうだし、思いの方向性とか熱量とか、
私たちは感じ取っているもの。
目に見えるもの主体で世界を構成するという考えは、
一日の昼の部分にだけ注目するような感じ。
活動の収まる夜、私たちは意識を離れてより大きな世界へ行ったり、
時空を超えてつながったりしています。
「見えないもの」というのは、そういう時空の網に引っかからずに
通り抜け出来て、制限外のところにあるもの。
目に見えるものだけで生きるひずみ
今までは現実の目で見れて触れて味わえて匂いをかげてという、
肉体に属する器官で認識できなければ、
「気のせい」「あやしい」と分類されることだったけれど、
「目に見えるもの」も「目に見えないもの」も、
「世界」を構成する 在るもの。
両方で完結する、その世界の一つだけを取り上げて、判断したり
成り立たせようとしたことが、ひずみやゆがみを生んで、
いろいろな対立や争いのもとにもなり、
人の心の霊性を無視しても、現実だけ整っていれば良いのだという、
そういう生き方へ駆り立てていったのかなと思う。
目に見えないものを大事にすることは・・・
王子様が受け取った、薔薇の思いなんて、
心を寄せなければ、わからないもの。
尊さを感じないもの。
世界がモノ主体ではなくて、より根源的なものへの志向が強まっているのは、
「目に見えない」ものを大事にした、「目に見える世界」に反映する
その調和と美しさ。
それが心にあるからかなと思ったりする。
お互いがお互いをうちに含んでいる
といっても、目に見えるものも目に見えないものも、
線がくっきり引かれて離れているわけでもなく、
お互いにお互いが入り込んでいるという、切っても切れない関係で
つながっているもの。
そんな当たり前がもっと普通になれば、
より穏やかな世の中になるのだろうかと思ったりするこの頃。