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クンツァイト

 

アポフィライト

クンツァイト クリスタル・ヒーリング・メッセージ

 

クンツァイトは私の大好きな石のひとつでもあるからか、
すでに何度かこのメッセージでも書かせていただいています。

その落ち着いて、静かで沈静化もあるような石の雰囲気、エネルギーは
とても懐かしく、また慕わしいものと感じます。

普段から好きでよく見たりしている石ですが、
ふと、アチューンメント前の整えのために
自分にクリスタル・ヒーリングをしていて、

その中にあったクンツァイトに、片付けの際に
とても惹きつけられました。

それはとても吸引力の強い、

食べ物だったら、たとえば栄養的に偏っていて
ある食べ物を見たら、理性ではなく体が欲していたというような、

そんなある種の根源的な欲求が上ってくるような

そんな感じなのでした。

その強い突き動かしのようなエネルギーは、いったいなぜ?と思い
クンツァイトをもって座ってみようと思いました。

ちなみにそのアチューンメントとは、私自身が今、ある新しいモダリティを
受けていて、その過程なのですが、

そのアチューンメントにおいて動かされているエネルギーの影響も
あったのかもしれません。

☆☆☆

静かに座って、ただ自分の心が落ち着いて、透明な素に戻るのを
待ちます。

それは瞬間でそうなるときもあれば、
数分かかるときもあります。

今回は数分ただ静かに座り、
石の波長と私の波長が穏やかに調和して
お互いの声を聞いてゆけるようにと、
ただゆったりとしていました。

呼吸が落ち着いて、心の漣も落ち着くにつれ、
石とのチューニングも深まります。

そしてクンツァイトがそのときに私をいざなってくれたのは、
優しく優しく、

なんらか私が今まで必要と思ってきていた服(思い込み、制限)を
一枚一枚、ゆっくりと脱いでゆくような

ある種のクリアリングのような機会です。

それはすでにアチューンメントなどを通してなされているのですが、
肉体という波動においての、その進行を
なんらか助けてくれる、今回のクンツァイトとの時間と感じました。

私にとってクンツァイトは故郷を思わせる石でもあり。。。

もともと制限などなく生命としてただ振動している存在、
エネルギーであったわたしたち。

それがこの固まったように思える肉体という器に宿ることで、
そのときに必要と思われたり、教育などを通して
身につけてきたさまざま。。。があり、

それらはその時々では役にたったとしても、
いつかは要らなくなる時がくる。

なぜなら、わたしたちは源へと、オリジナルへと還る旅だから。

その優しく包むエネルギーにてくつろぐことにより、
リラックス感が戻り、力もチャージされる。

そしてその中で私は心の中で、

「私は美を選びます」

「私は誠実であることを選びます」

「私は愛であることを選びます」

「私は優しくあることを選びます」

と、自然と自分に宣言していたのでした。

今の時代、人間として生きるにあたり、多かれ少なかれ
誰もがストレスを感じたり、時にトゲトゲした気持ちになったりしますね。

その時に、自分は何を選ぶのか?

ゆれる気持ち、惑いがあっても
最終的に何を選ぶのか?

それを深く一人一人が問われている時だと思います。

そしてそんな神聖な時間にて洗われた私の心は
より軽く、愛に満ち、優しさがそこに溶け込んでいたのでした。

そしてわたしたち一人一人が、たとえばキャンドルを灯しているとして、
それは自分をまず輝かせます。

そしてそれを他の方に近づけた時に、
その炎は、他の方の顔も美しく温かい炎で照らします。

そしてその中での共感、つながりが満ちた時に、
一人一人の持つ小さなキャンドルの灯りは、

その存在そのものの大きさとなって、
わたしたち自身がその炎となって、周囲を照らすのだと思いました。

そうやって、お互いがお互いを照らし、
優しさと明かりを分け合い。。。

それにつれて、わたしたちの場も、世界も
より居心地よく、優しい場へとなるのだと思いました☆