自分らしいものを選び、身近に置く
究極の満足
好みも時とともに変わります。
一時はあんなに夢中になっていたのに・・・と、
後になって夢から醒めたように思う時もあります。
あの情熱はどこへ行ったの?と。
けれど、あるものは飽きたりすることなく、ずっとお気に入りのままです。
あるものとは。。。
損得を考えず手に入れたもの
そしてそこに自分の手が入っていること(自作したもの)
自分の好みを100%反映したもの
こういうものは、究極の贅沢品だと思いますが、
妥協していない点で、好き度が純粋だからか飽きも来ないです。
迷ったら、高い方を選びなさい、良質なものを選びなさい。
こんな風にもの選びで迷う際に、アドバイスする方もいらっしゃるようです。
私が純度の高いものの、ずっと続く価値を感じたのは、
自分で作った指輪、ペンダントヘッドなどを実際身につけてみてです。
自分で作ったと書きましたが、私は彫金の専門家でもないので、
彫金のマイスター(親方として認められている職人さん)と一緒に
その方の工房で、純金のコインを溶かしてそこから18Kを作り、
細長い棒にして、そこから枠を作ったりして、実際私も作業をしながら
マイスターと考えたデザインで、世界にたった一つだけのアクセサリーを
創りました。工具もいろいろ必要でした。
その際に作ったのは、指輪(グリーントルマリン入り)、金の幅広リング、
パライバトルマリンのペンダントヘッド、モルガナイトの豪華ペンダントヘッドです。
そしてチェーンの代わりに、ブレードを好みで組み合わせたり、あるいは
自分で組紐を編んで合わせたりと工夫しています。
かかった費用ということでは、金自体たっぷり使ったこともあり、安くはなく、
お店でもそれなりのものが買えるくらいはしています。
ダイヤモンドを嵌めてくれる職人さんにさらに作業をしてもらったら、
予想の5倍位かかったということもありました。
けれど、その、自分の手も入った、世界でたった一つのものを身につけていたら、
「もっともっと」というものがどこかへ飛んで行ってしまいました。
すごく満足してしまい、さらに目新しいものと心が騒がなくなったのです。
究極のものが手に入ると、心も欲望も落ち着く
そして、それは豪華なものでなければならないということはなく、
たとえば、私は下手なのですが創造性発揮として、数点絵を描いたことがあります。
成人学校のコースへ通ったので、せっかくだからと家でも描いてみたのです。
そしてそれを部屋に飾ったら、とっても居心地がよくなったのです。
引っ越して家具もいろいろ入っているのに、どこか借り物感があったのが、
すっと自分のエネルギーに馴染み、自分のホームという感覚をもたらしてくれました。
そして不思議に、これもまた飽きることがありません。
特に上手な絵でもないのに、私にとってはとても落ち着くのです。
あるいは、もっと小さなもので言えば、すごく手作りをしたくなり、
可愛い布で作ったハートの飾り物。
なんていうことのないものなのですが、安らぎがあって、気持ちを和ませてくれます。
自分の手が入ること、手作業することって、お料理でもそうですね。
買って来ればなんでもおいしいものは手に入る。
でも自分で焼く全粒粉のスコーン、いつもの定番の味で安定しているのがうれしかったり、
スフレやシフォンケーキがちゃんと膨らんでくれたとか、
心に与える影響が大きいなと思います。
庭の植物も、春先年を越してまた萌えだしてくれたのを見ると、
暑い夏には、どんなに忙しくても赤ちゃんのお世話のように水遣りは
きっちりとやったとか、継続してきたことの結果を見るうれしさもあります。
小さな桜の木からおいしいジャムになる実が実って、
それが年々大きな木へと育ってゆく様。
手をかけるという、時間やエネルギーと交換しての深い満足があります。
モノがいろいろ豊富に買える今の状況は、とてもありがたいものですが、
欲望が果てしなく続き止まらないということにおいては、
実は本当の満足に至っていないのかもしれません。
今、コロナ騒動で生活が自然スローダウンして、何が本当に必要で大切なのか、
人々は考え始めています。
モノも単なるモノではなく、あなたのエネルギーや心やケアを受けているもの。
そういう意味では相互での交流がありますので、最高レベルで交流できるものと
長く続く関係を作れることは、とても素敵なことだと思います。