アンティークカップー変わらない価値
芸術の秋-ストリート・ヴァージョン
秋が進み、『黄金の10月』と言われる季節を迎え、
木々のイエローに色づいた葉っぱを太陽が透かすと、
その透かされたところはゴールドの輝きで染まる。
それがgoldener Oktober という表現の由来です。
じっとりの秋の景色の多いこちらだからこそ、たまにスカッと晴れた時の、
その輝き。
色を太陽の光でシェードを一段上げて、天上界の色に近づけたような感じ。
その美しい光が混じった色を見ると、それだけで幸せな気持ちになります。
そしてそんな折り、久しぶりで町のマーケットでアンティーク市が開催され、
うきうきとして訪れました。
アンティーク市巡りは夫と私のゆる趣味。
高価なものを買うのでもなく、ただお散歩を兼ねたそぞろ歩きをして、
たまにおなじみのディーラーさんとたわいないおしゃべりをする。
そういう風景は以前には定期的に、そして普通にあったことです。
おなじみのディーラーさんたちは?
それがコロナで集まりにくくなり、開催もされなくなってしばらくの時間が経ち、
久しぶりの再開だったのです。
「さて、おなじみディーラーさんたちの顔ぶれ、どうかな?」
「やっぱり減っちゃったかな?」
そんな思いもありつつ、けれどやはり楽しみで、
真っ青で雲一つない空とさわやかな陽気が誘います。
人の楽しみとして、やはりお天気をただ味わう、
そんなシンプルなものがありますし、
そして好きなものを見に集う。
この楽しみもあります。
その機会に感謝しながら、路上にブースが並ぶ通りをスタートして、
じっくりと、あるいはさらっと眺めてゆきます。
アンティーク市で目が留まるもの
私の場合、目が留まるものは陶器です。
あるいはシルバーのインテリア小物など。
おもてなしの食卓に上るものや、リラックス時間のための小物。
そんな可愛らしいものに目がゆきます。
正直、そういうカップ類はたくさん持っていて、これ以上増やしたくない。
これは頭の考えです。
断捨離とか整理のことを考えると「もう、増やさない方が良いよね」、
こう思うのですが・・・
実際眺めて好きな柄に出会うと、やはり手にとってじっくり眺めたくなります。
ドイツの有名な窯元のマイセンの陶器も多くて、
私もいくつかセットで持っていますが、色違いだとか、サイズ違いだとか、
そんなちょっとでも、自分にとって新しい要素が入ると、
「増やさない!」という決意がグラグラします。
年月を経ても美しさを保つそれらの陶器
「このカップでどんな人がどんなティータイムを持ったんだろう?」と想像する時。
そこには年月を超えた、親しみというと変ですが、
人の暮らしとして変わらない部分、和みやプライベートな楽しみという、
人として生きる部分のクリームのような、
(ケーキにたとえると、クリーム部分は極上部分)
それを時を超えて共有している気持ちがして、なんだか感慨深いなって思います。
時を経ても、時代が変化しても、それでも変わらない私たちが共有するもの。
それがそのモノとしてのそれらに宿っている気がして、
敬意をもって丁寧に扱いたい、そんな風に感じます。
お断りして見せていただく際も、自然丁寧な所作になります。
目に見えない何かが大切に思われる
それは時を超えてつながれてきた、そのカップなり陶器に宿る、
時に負けない何かを感じるから。
それは作った人のその気持ちだったり、手描きの丁寧な仕事ぶりに宿る
熟練の技のプライドだったり。
それこそ、そこに「目に見えない何か」を感じなければ、
求めようとは思わないでしょう。
時代は断捨離、ミニマリズムですし、
モノを所有することでの手間暇、時には心への負担もよく知っています。
けれど、そういう基準ではないところにある輝きに、
私はつい負けてしまいます。
そして「あーぁ」とどこか思いながら、
その負けたこと、負けることができたことを嫌だなとは、実は思いません。
それは、私にとってのハートとつながる何か理屈ではない大切なものだから。
モノというより、そこに宿るものへの共鳴を感じると、
それはモノを超えて大切なものになります。
アンティークカップなんて、そういうものですよね。
そのはかなさと同時に、生き延びそして息づく何か命のようなもの。
両方を感じるからこそ、大切なものになるし、一期一会での『出会い』となる。
通りの雑多な屋台をそぞろ歩きしながら、そんなことをどこかで感じるのも、
悪くないなって思ったのでした。
「好き」は温かみをもって来る
やはり、人には両方大事だなって思います。
モノと、モノを超えたもの。
ただモノと割り切れるものだけで囲まれていると、
どこか窮屈になる気がする・・・
「好き」と響くものたちは、温かみを持って、人生に入って来る。
やはりね、そんな素直なときめき、無くしたくないです。
『大切なものは目に見えない』ですから。
夫と愛犬と一緒に歩きながら、たわいのない会話をし、
買うでも買わないでもないファジーな気持ちのままに、
日常の文化として楽しめる機会。
やはりうれしいな~と実感しました。
そして久しぶりで会ったディーラーさんもお元気の様子で、
お互いに「また会えてうれしい!」という気持ちで、
ついハグしてしまうことなど、まさに人間味を感じて、
これもまた、アンティークを求める際の大切な要素です。