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2022-04-19

静かな時間を経て紡がれるもの

イースター休暇が終わって

『復活祭』
それを感じる、金曜日から月曜日まで通して、伸びやかな青空に恵まれた
祝福の期間となりました。

冬が終わって、日もどんどん伸びて、緑の色を濃くする樹木の成長。
これらすべて、陽のエネルギーが増えて来ているのを感じさせてくれます。

そして休暇の一日、お気に入りの大きな公園へオット、そして愛犬と一緒に
お散歩と、まだ残っているボタン桜を鑑賞に行ってきました。

私たちがいつも座る池の後ろの緑の芝生は、
木陰が夏は心地よい日除けになってくれ、
池を渡る風、そして池の水面に映る対岸のグリーンも鮮やかで
とても寛げる場所です。

そしてそれは、ベンチに座る老夫婦や、私たちのようなワンコ連ればかりでなく、
池で活動して住処にしている鳥たちも同様です。
最近はマスクラットという、ヌメッとしたラッコのような黒っぽい動物も
家族を増やして棲みついていて、それぞれの憩いのオアシスでした。

オアシスの様相が一変!

ところが、この池の様相が実は少し前から一変していて、
水は攫われ抜かれ、底にショベルカーが入って工事をしています。

「まさか・・・池を無くしてしまうんじゃないよね?」と心配になりましたが、
どうやらそれは違って、池の水質が悪くなったために
いったん水を抜いてそして底部をきれいにして、水を戻し、魚を戻すのだとか。

もちろん、そうすれば鳥たちも戻って来れます。
白鳥もたくさんいますし、黒鳥などもいる大きな池なのです。
本当にほっとしました。

現実のその風景から派生して感じたことは?

そして今日書きたいことは、
私の小さなオアシスで過ごしていて感じたこと。

池の水をさらって、新しい水を入れ替えるという工事と、
現実で見る世相のことなど、その二つについてです。

無為の時間はとても大切!

まず・・・しみじみ感じたのは、
シンプルに静かな波動になるためには、無為の時間、
「何のために」ということのない時間を過ごすことが、とても必要だなということです。

実生活ではいつもマインド、心は、あちらこちらへと感情や状況に押されて
動き回り、その都度、波紋を起こし、それが鎮まることがありません。

マインドの仕事は、現実で起こっていることをコントロールしてチェックして、
安全確保、優位確保をすることが一つ大きな目的なので、
なかなか緩むということができません。

反応で消耗してしまう私たちの心

マインドは小さな波一つ一つに反応します。
そして、その反応で私たちは消耗します。

自分のことだけでなくても、世相のニュースを見たり聞いたりすることでも、
心のさざ波は大きなものとなります。
ですので、どこかで強制的にそのサイクルをカットできると、
静けさが入る余地が生まれます。

静けさを持つためには

それはたとえば、公園へ行ってその間スマホなども使わず、
ただボーーーと意識を使わず寛ぐなど。

あるいは瞑想をすること、心から夢中になれることをする、などです。

なんていうことのない、特に生産的でもない時間ですから、
それを無価値と思って、現代の私たちは何かをすることへとすぐ逃げ込んで
一見充実しているような時間をより大切に思ってしまいます。

心のその奥の静けさという豊かさへと到達するには、
小さな波で邪魔されず、本質へと到達できる深さが必要です。

その入口になってくれるのが、無為の時間だなと思うのです。

忙しさに押されて、つい端折ってしまいがちな、
何も生まない、ただ寛ぐ時間。
そことつながっていることの大切さを、改めて深く感じました。

ただ寛ぐ中にあるパワー

思えば、このコロナ騒動が始まってから、ニュースを見ては落ち込んだり、
心配になったり、心がさまよう時も多くありました。
ただ寛ぐということの中にあるパワーを見失いかけました。

けれど、自然界で過ごすだけで、それはすぐに戻ってきます。
なぜなら、それは私たちの本質とつながっている部分ですから、
失うことができないし、見失うことも実はないんです。

新旧交代が起こる時

そして「池の水を替える」ということ。
それは新旧の交代でもありますが、今現実世界でも
大きなレベルでそれが起こっていると言えると思いますが、
改めて、その池の様相を見ていて思ったことがあります。

そこに棲みついていた魚、鳥、動物たちにとっては
晴天のへきれきのような、驚きをもたらすものだったと思います。

それは彼らにとってはとてもチャレンジであり、サバイバルの観点からも
とても大きな変化です。

けれど、長い目で見て、池の水を改善することは必要なことで、
どこかの時点で、新しくすることを実行しなければならない。
そこでいろんなチャレンジが、のし掛かるわけですが、

近いところを見る視点、より大きく見渡す視点では、何が良いのか悪いのか、
相反することも多々あります。

大きな視点で観ることの大切さ

今の世界で起きていることが全部正しいとも思いませんし、必要なことなのか、
個人的には正直わかりませんし疑問ですが・・・
けれど、大きな視点から観ることは、どんな時も必要な視点だなと思います。
そしてもちろん、その意図がクリアで、影響を受ける人の益にならなければと思います。

私たちは自分に関わることには、みな近視眼的になりがちです。
けれど、どちらが良い、悪いではなく、バランスを保つ、両者に橋をかけることが
とても大切なんだろうなと、池がこれから出来上がってゆく風景を見ながら思いました。

そして落ち着いて、そこに棲む生物たちに調和と平和が戻って来ることを願いました。

自然が教えてくれることが最強

今日書いた二つ、
平和な心には静かな視点に戻れる時間が必要なこと。
そして、中立的な視点を持ち続けられるバランスを生む、心のスペースの大切さについてです。

いつも感じることですが、自然界の様子を眺めると、何が大切なことなのかクリアになります。
グラウンディングさせてくれ、精神を刷新させてくれ、かつ寛がせてくれる、
自然のパワーに心から感謝が湧きます。

これからも人類は自然と共存して暮らしてゆけるようでありたいと、強く思います。

 

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