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2020-01-03

ラベンダーアメジスト

深い癒しのエネルギー ラベンダーアメジスト

アメジストは紫水晶とも言い、
クォーツのお仲間で、町でもよく見かける石のひとつです。

本日のアメジストはラベンダーアメジストです。
色合いが淡くなってラベンダーを思わせるアメジストです。

おなじみのディーラーさんに
ハートの磨きの逸品たちを見せていただく機会があり、
その際に「すごく良いアメジストもありますよ。」とお知らせいただきました。
そのとき、頭にあったのは、
「あ~、あのヴァイオレットとあのエネルギーよね。」でした。

けれど、他の石もまじえて、それぞれ包まれている紙を解いてご対面したとき・・・
私の口から出たのは 「これ、クンツァイトですよね?」でした。

クンツァイトにしては色味がまたちょっと違うけれど、
そしてとってもクリアでインクルージョンがほどんどない、すごいものだけれど、
クンツァイトのリラのニュアンスを感じさせるものでした。

 

その神秘の色味は、ぞくっとするような多面的な魅力があり、
アメジストのいわゆる通常のヴァイオレットとも違うのでした。

その色合いが繊細で、それがどこか紫陽花の色がグラデーションで
美しく移ろいながら調和している様や、宇宙を思わせる雰囲気もあって、
帰ってきてから気になって、早速手の平に乗せて味わってみました。

そしてそれは究極・・・『癒し』のエネルギーなんだなと思いました♡

アメジストに掛かる言葉って、
『癒し』がありますが、通例のような感じです。

癒しという言葉自体、いろいろな方向へと伸びてゆくものでもあるとは思いますが。
(肉体へ作用するのか、霊体やより繊細な領域に作用するのか・・・etc)

そういうありがちな決め付けを突き破って、それでも出てきたのが『癒し』というキーワードでした。

マスターとしての品格

このラベンダーアメジストの究極の逸品が
マイスターの手により美しく磨かれて仕上がったハート。

それは深い深い、けれど何気ないとも言える
ありそうで、けれど実はなかなかない・・・その深み湛える包み込むエネルギーで、
それ自体がマスターとして存在しているようでした。

それは『受け入れられている』という安らぎを伴うものでした。
判断もジャッジもなく、慈しみのまなざしで包まれ、芯から許されている状態。

酸いも甘いも噛みわけた成熟したそのマスターは、
この世のさまざまも神秘も神聖も、すべて見通している。

それは蓮の花のようだなとも思いました。
泥の中で天上の高貴の花を咲かせる蓮。

きれい、きれいだけの中では培われない
たくさんのものを濾過してきた底力はありつつ、あくまで軽やかで優雅。
奮闘はとうに手放して、
今はすべて光の中へと還してきた器量。

その底力があることを土台に、『許されている』ということからの
根源の尊さを伝える石。
高貴で、そしてまたすべてを包んでいる。
懐の深さと、ベタベタしない優しさ。

そして何より、自分の全存在へ踏み込んだYES!を言うのに、
力を貸してくれる石だなぁ。。。と思いました♡

癒しが起きる際には、新旧の交代

優雅にレットゴーするのと同時に、
より真実に沿う、拡大した解釈での代わりの何かが・・・
たくまず実は入って来ています。
それがね、『希望』を温めさせてくれます。

形の上では、ただの喪失、レットゴーだけのように見えたとしても。。。
昇華された、より精妙なものが、心のそのスペースに実は満ちている。

すべては許されている

それがわかったときに、
表面では失意にあったとしても・・・
あなたの全存在が「許され」、そして間違いを含めすべてが肯定され、
受け入れられていることを知ってゆきます。

いろいろなことがあっても・・・
いまだにマインドではOKを出せないことがいっぱいあっても・・・
そういうレベルではない、存在を許されているという次元で
実は大切に守られ、導かれ、愛され、
希望をどんなときにも与えられ、支えられて生きているのだということ。
それに気づいてゆくんですよね。

ある意味では、本当は知っているそれを、
それを否定するマインドのヴェールをひとつひとつ剥ぐようにして、
クリアになってゆく過程が、『癒し』なのかもしれません。

自らは高い境地にありながら、
けれど蓮の花のように、
泥(日常や人間のもろもろ)の中に入ることも厭わない。
その慈愛から放たれる光が癒しをもたらすものなのでしょう。

そしてアメジストは、別名紫水晶ですから、
水晶のオールマイティの個性も併せ持ち、
幅広くそのパワーを波及させます。

石を握ってそれぞれの個性を感じると、
言葉だけだとはっきりしないもの、概念的なものが
より輪郭シャープになった感じで腑に落ちたりします。

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