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2020-09-08

自分の来し方と現在、その間の棚卸

人生に不変なのは変化だけ…

人生にはいつも変化があるということですね。

けれど、そんな身近な変化であっても、
自分自身の日々の小さな変化とその積み重ねは
なかなか気づけないものです。

常に今の自分が自分ですから、少し前の自分はさっと
手放しているのも人間ですね。

現在が基準となって、またそこから足りないところを見つけては
何かと格闘したり、自分のよさを認めることができなかったり、
外の対比する何かを視点に入れては、一喜一憂するわけですけれど、
その際忘れていることが一つあります。

変化の中で案外見えていないもの

少し前の自分、半年前の自分、一年前の自分、
三年前の自分、十年前の自分・・・と、
それを思い浮かべることが出来ても、それは単にマインドが編集した
イメージに過ぎないこともあります。

人は、自分のフィルターがかからないニュートラルな視点で
自分を観ることはなかなか難しいですが、
写真や書いた物などを通して、その時の自分がふと思い出される時、
「こんなだったっけ?」と驚くことも多いのではないかと思います。

知らず日々の暮らしや体験を通して、
常にヴァージョンアップがなされている自分。

だけれど、それがとても身近過ぎて、気づくことなく
自分が持つ自分へのイメージや心象風景だけが残りがち。
けれど、独自の歩調を進める中で時々出会う
その時々での自分を見せてくれるもの、機会から、
今の時点まできた、変化を感じることができる。

AとBのポイントの間のことを棚卸してみる

その時には難しかったことが、「今はあれっ?そういえば簡単にできる」
そんなことを含めて。

人は自分のことは一番わかっていると思っていますし、
体験についても、当事者であるのだから、一番わかっていると
思い込んでいますが、
それらは案外と、自分流に切り取られたものとも言えるのです。

時々、ピント合わせ、調整をするような、
ある時点の自分と自分、その間にあるものを棚卸することで、
自分に感謝が出来たり、出来ていないところばかりではないと、
自分へのダメ出しが減るかもしれません。

自分自身の変化を、客観的に認めるということも、折々大切なことですね。

外の変化が大きな時には、自分の道行を理解していることが力に

今のように目まぐるしく大きな変化が目白押しで、
なかなか軸を持ちにくい時も、時々「どれだけ変化できたか」に
客観的になれることで、不安や焦る気持ちが納まります。

そして今の自分にちゃんと居ることができ、今ここから
力を注いでゆくことがしやすくなります。

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