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2019-06-02

NO という中の美しさ

 

(相手に)NOをちゃんと適切なときに、適切な方法で言えるのは、自分へのYES!(愛)だと聞いたことがあります。

こんなことを考えていて、ふと思い出した顔があり、それは私がドイツへ来たばかりで、語学学校に通っていたときの友人です。
今は彼女たちが引っ越してしまって音信が途絶えてしまっていますが、ドイツへ来て、初めてくらいに友人として意識した人でした。

彼女はコロンビア人で、母国では先生をしていましたが合わなくてやめてしまい、その後、スペインでウェイトレスさんなどの経験をした後、そこでドイツ人彼と知り合い、一緒に住むために移住して来たばかりでした。
私同様、ドイツ語も初歩の初歩から。

穏やかでのんびりしていて、けれどどこか気品があって独特のリズム感のある、素敵な人だなと思っていました。
そして今でも覚えているのが、彼女は上手にNOを言う人だなという印象。
具体的にどうこうと言うより、自分の感覚(動物的ともいえる)に信頼をおいているのがわかる、素直にいろいろを決めている人、そんな印象でした。

ですから、NOにも嫌な感じが付きまとっていなくて、シンプルなところからすっと出てくるというところが、私にはどこか尊敬として感じられました。

私たち日本人は、相手にNOと言うのがとてもいやだったり、気を使いすぎたり、言葉を飾りすぎたり、あるいは社交辞令でごまかしたり^^と、文化ならではのいろいろなパターンもありますね。

その彼女だけの例ではなくて、私が今暮らすドイツも、NOを言う人、言う機会はたぶん日本人、日本社会よりずっと多いと思います。
こちらの人も、ある意味断固とした感じでNOを言い、それは幼いときから教育される「個」としての自分をたたせる上で、とても必要なことと、社会でも捉えられている気がします。

NOは、普通に、自分の中心から素直に出るとき、他者を傷つけることは少ないです。
そして、NOを言っても良いと思っている人のそれは、重くもありません。

私がここドイツに暮らしていて、いろいろな文化摩擦もあるわけですが、それでも、すっきりとした顔でNOと言えること、その土台はとても幸せなものではないかなと感じます。

願わくば、私自身も自分が大切にするもののために、自分にYESを言うためのNOは、上手に、そして人も自分も傷つけることなく、さらっと、でも自信をもって
言いたいなと思います。

そんなことを考えるとき、あの褐色の肌にカーリーヘアが素敵だった、ドイツで友人になった女性の面影を思い出します。
そしてきっと、あのとき生まれたベイビー含め、数人のお子さんのママとして、ゆったりした中心を持ちながら、今もしなやかに暮らしているのだろうと思うのです。

後々まで残る印象は、不思議なもので、そのときに強いやり取りがあったという必要もないながら、残り続けます。
人でしたら、尊敬の念というのでしょうか、その人独特の尊厳を感じたとき、それは小さな日常の中の何かだとしても、強く心に残るのです。

それはちょっと・・・香水のようなものです。
その人の存在の核からの香りというか。。。

 

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