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2023-05-10

余白の大切さ

ティータイム

余白があると…

呼吸がしやすい

心が安定する

穏やかさの波動が続く など、

良いことばかり。

でも、十分に余白を楽しめている?

案外私たちは、その「余白を愉しむ」ということを過小評価して、
余白のままで置いておけずに、
to do リストを加えては、一見わかりやすい達成にのめり込んでしまいがち。

こんなことを改めて日本から戻って感じています。

日本へ発つ前、体も心もとっても忙しかったです。
グルグル回っている中でアップアップしながら、
日々をこなす感じもあったりしました。

前年出会って濃くフォーカスしたスピリチュアルな学びで、
予定していた以上に次から次へと波が来て、
それについ乗ろうとがんばるうちに、かなり飲み込まれました。

ワークショップがこちら時間の夜中からだったりする中で、
その調整期間も含めて、練習や復習にも時間が必要でした。

さらに同じタイミングでボランティアも始めていたので、
そちらも思ったより以上に時間を割くことになり・・・

充実した自分が望んだ活動でも、別の面では、
今まであった余白が削られ、心地よい空間が浸食されていたんだと、
今にして気づいているという次第。苦笑

忙しさに飲み込まれるとやはり苦しい

人ってやはり、渦中は夢中で気づけないし、俯瞰もできないです。
次々やって来るものやあわただしいリズムに、つい巻き込まれがち。

巻き込まれると視点が短絡的になり、見えているようで、
実は見えていない状況になってしまうことも。

その波から離れるためには?

こんなうっかりはまってしまった渦から抜け出すための、簡単な方法の一つが、
旅であり、その非日常の力に助けてもらうこと。

物語の場面が切り替わって新しい展開が始まって行くように、
今までの続きではない新しさを提供してくれることが、旅のギフト。

そこでいただくギフトを味わう気持ちで、
素直な目で風景を眺めたり、人と会ったりすること。

その時は、前から行きたかったところに目的はなくても行ってみてもいいです。

たとえば、各駅電車に乗ってちょっとドキドキしながら、初めてのところを目指したり。

効率的ではない時間を過ごすと、余白が開けて来て、心が柔らかくなります。

Being が心の豊かさを高める

こんなことを旅を振り返りながら考えていて、
Being が生活の質や幸福の在りかを決めていることを改めて思い、
時間があることで、それが許可されることも多いなと思っています。

何かがグルグルと回っている時に、動きの惰性としてはそれを繰り返すのが楽なのだけれど、
あえてそこでいったん止まってみるということを入れると、
実は巧まずいろんなことが整う。

これも実感しています。

方向を調整するためには?

「あれ、ちょっと違うな?!」ということは
動きが始まって加速して、はじめて感じること。

その際に方向調整をしたい場合、その動きの中でやろうとするより、
いったん止まってみることが最善策。
そうすると自然に調整されてゆくということ。

私を含め人って、余白や立ち止まるということを恐れたり、
あるいは過小評価しがち。

私が余白を全然楽しめなかったとき

これは私の経験なんですが、若い頃意図していなかったのに、
余白80%くらいの生活になったことがあります。

仕事もしたいしいろんなことに意欲がある、けれどできない(と思い込んでいた)、
そんな気持ちの中で、急に与えられた余白の使い方に悩みました。

取り立てた義務もない生活。 気楽といえば気楽な生活。
ある意味では願ったり叶ったりのはずですが、軸も何もなかった私にとって、
それは実はたいへん手ごわい状況でした。

自分がふわふわと飛んでゆきそうな中、毎日なんらかの土台となるものが欲しくて、
敢えて人のいるところに行くことを課したり、
何をしてもいい、あるいは何もしなくてもいいという、その自由を優雅に使える力がなかった私は、
その自由の前でおたおたするしかできませんでした。

実は余白を楽しむには軸がないとダメなんです。

余白を楽しむために苦しみながらやったことが…

私も心の必要性に迫られていろんなことをしていったのですが、
その時はつらかったことが、思えば今の私の愉しみの土台になっています。

コンパニオンだった愛猫と出会ったのもその時。
動物の純粋な愛にとても救われました。

習い事をいろいろして、自発的に外とかかわろうとトライするようにしたのもその時。
待っていてもダメなんだなとわかったので。

駅前のおしゃれなサロンで、ティータイムを大切にするようになったのもその時。

すべてシンプルに言えば、『居場所探し』のためでした。

ただ贅沢で楽しそうな時間に聞こえるかもしれませんが、
その当時は自分一人で時間を使うということにも慣れていず、
転勤の地で他の人とのつながりも感じられず、心は孤独一色。

けれどその時に、「自分が動かないと何も始まらない」という当たり前のことに直面させられました。

そんな強制終了みたいなことが若い時に人生に起きて、
そこで余白と向きあわざるを得なくなって、苦し紛れにいろいろ試したことが、
実は後々の楽しみの源泉づくりとなってくれていたことなどを
今振り返って思います。

いまではおひとり様時間も堂に入って^^
充実の至福時間ですし、
多分、旅も一人でも楽しめます。

余白というのは、ある意味で与えていただくギフトのようなもの

多すぎても少なすぎても、人間としては不満になるのですが、
余白は十分あった方がいいです。
そして余白を大切にして行くことが、人生の質に関わって来ます。

もし今、「人生に余白なんて全然ないわよ!」と思っていらっしゃるなら、
どんな小さな所でも良いですので、心がほっとする機会を見つけて日常を送るのは、とても大切だと思います。

そのためには、時に場を替えてみたり、スケジュールを替えてみたり。

人と連れだって楽しめるのももちろん素敵なことですが、
ささっと自分のリズムや気分で動ける軽さで、余白をクリエイトして行くことが
一番の醍醐味でもあると思いますし、そこに創造性も宿ります。
自分軸で動けるようになることで、人生がさらに整い輝きます。

 

・このテーマについては、アメブロでも記事をアップしています。

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